式内 大井神社(京都市)
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概 要
社 号 大井神社
読み:古 オホイ、現 おおい
延喜式神名帳 式内社 山城国乙訓郡 大井神社
所在地 京都市右京区嵯峨天竜寺造路町
旧地名 山城国乙訓郡
御祭神 宇賀霊神(うがみたまのかみ)
元々は大綾津日神・大直日神・神直日神
例祭日 10月8日 秋季祭 11月20日 新嘗祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
葛野郡 20座 大14座・小6座
近代社格制度 旧村社
社格制度廃止後
創建
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
嵐山渡月橋北詰のすぐ東に入った細い住宅地にぽつんと鎮座している。時間帯では観光客でごったがえす場所だが、平日の早朝なので早めの通勤に向かう車とバスぐらいで誰もいない。一歩中は閑静な住宅地。山城国乙訓郡とあり、現在地は葛野郡であるので、元々は乙訓郡内にあったのだろう。嵐山・渡月橋のこの地は氾濫する大堰川が、ゆったりと流れ始める場所。上流から場所によって保津川、大堰川、桂川と名を変えて宇治川とともに大山崎で淀川と合流する。
歴史・由緒等
大堰川の守り神、また商売繁昌の神として古来住民の信仰の厚い。また秦氏や角倉了以の信仰も厚いものがあった。
創立年月日は不詳であるが、延喜式神名帳(927年)や「三代実録」貞観18年(876)7月21日条(山代大堰神 並従五位下)に記載がある。おそらくは秦氏の葛野大堰道営(八世紀初頭)と密接な関係があろう。
明治10年3月26日に村社に列格され今日に至っている。現在の社殿は野宮神社の旧社殿を移築したものである。
大井神社宮司 県野真文「社頭掲示板」
創建の由諸は不詳であるが、日本三代実録の貞観18年(876年)7月21日条に従五位下が授けられたと記述のある「山代大堰神」が当社のこととされ、8世紀初頭、秦氏が大堰を作って葛野川(大堰川、桂川)を改修したことと関係があるものと見られる。延喜式神名帳に記載される「大井神社」の後裔社であると自称しているが、式内・大井神社の鎮座地は乙訓郡であり、当社の現鎮座地は旧葛野郡である。『式内社調査報告』では、当社は式内・大井神社ではなく松尾大社末社の堰神であるとし、式内・大井神社は廃れたのであろうと記している。
明治10年(1877年)に村社に列格した。
現在の社殿は野宮神社の旧殿を移築したものである。
ウィキペディア
亀岡市大井町にも式内大井神社がある。御祭神は月読命 (つきよみのみこと)・市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)・木俣命 (きのまたのみこと) – 別名を御井神(みいのかみ)であり、当社の御祭神と一致しないので、まったく関係ないようだ。
境内・社叢
社叢 鳥居 社殿
社頭掲示板
本殿
本殿 左境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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