式内 大倭物代主神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内 大倭物代主神社
読み:おおやまとことしろぬし
江戸時代は「諸守大明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国宍粟郡 大倭物代主神社
読み: オホヤマトノモノシロヌシ
所在地 兵庫県宍粟市山崎町下牧谷宮ノ谷299
旧地名 播磨国宍粟郡
御祭神
主祭神 建御名方神(タケミナカタノカミ)
配祀神 事代主神(コトシロヌシノカミ) 大物主神(オホモノヌシノカミ) 大名貴神(オオナムチノカミ) 奥津比古命(オキツヒコノミコト) 奥津比売命(オキツヒメノミコト) 菅原道真(スガワラノミチザネ)
例祭日 10月第2日曜日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
宍粟郡(シサハ・しそう) 7座(大1座・小6座)

近代社格制度  旧郷社

創建    年代不詳
本殿様式  流造 銅板葺

境内摂末社(祭神)

天満神社・大水戸神社・山神社・稲荷神社

一口メモ

社殿は再建されまだ新しい。文化財として貴重な古い社殿が多いなか、寄付集めや神社建築技術の継承など、社殿の再建は大変な努力のいることだ。伊勢神宮や出雲大社遷宮にあるように神社は絶えず浄めるのが本来の姿である。神社が創建された最初はこういう華やかなものであったのであり、当時の村人たちはピカピカな社殿にさぞかし驚いたのではないだろうかという印象を感じられる意義があると思う。

歴史・由緒等

由 緒

当社は創立年代不詳にして社名を延喜神名式の制に大倭物代主神社として小社に列格せられ、明治7年(1874)2月郷社に列格、中古以来師衆又は諸守神社と称え祀られるを明治6年(1873)中大倭物代主神社と社名改称の儀旧飾磨県へ届出の処明治14年(1881)6月10日付けをもって許可せられた。

創立以来の社殿は天正8年(1580)長水城主宇野下総守、秀吉公と戦い利あらずして落城の際兵火に罹りて焼失されたと云う・・・因って御神霊は現在の佐用郡南光町船越、船越山瑠璃寺南光坊へ当時の落人の手により遷座せられ、約100年後の天和2年(1682)8月再び現在の社殿を造営し祀られるものにして時の棟札は当社本殿に宝物として今猶保存されている。

尚平成16年台風23号により幣殿・拝殿・絵馬殿が損壊。再建に向け奉賛会を設立し鋭意活動中。

-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢

  
随神門                  扁額

かつては鳥居・参道が延びていたのだろう。現在は駐車場になっている

  
鳥居                   鳥居扁額

  
手水舎                  鐘楼

  
拝殿                   拝殿扁額


本殿

  
本殿左手境内社              本殿右手境内社 下牧谷北野天満宮

地名・地誌

地 図

兵庫県宍粟市山崎町下牧谷宮ノ谷299

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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