式内 大津神社
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概 要
現社号 大津神社
読み:現在 おおつじんじゃ
江戸時代は「大津明神」
通称名 津萬厄神
延喜式神名帳 式内社 播磨国多可郡 大津乃命神社
読み:古 オホツノミコト
所在地 兵庫県西脇市嶋239
旧地名 播磨国多可郡
御祭神 大津乃命 品陀別命(応神天皇) 気長足姫命(神功皇后)
例祭日 10月体育の日の前日、前々日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
多可郡(タカ) 6座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式 権現造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
高良神社、東照宮社、祇園神社、稲荷神社
一口メモ
加古川沿いに明石までの国道175号線西脇市嶋の旧道に鎮座。
歴史・由緒等
平安時代より津萬郷や近郷一円の信仰を一つに集めてきました。毎年の厄神祭には市内外を問わず、遠く県外からの参拝者も多数あり、北播地方随一の厄除けの神として信仰されています。北播地方随一の厄除けの神として信仰されています。
「西脇市HP」
式内社とは平安時代中期の延長5年(927)に完成した古代法典「延喜式」に登載された全国3132社のことで詳しくは延喜式内社という。旧多可郡では荒田神社(加美町的場)加都良神社(中町間子)兵頭神社(黒田庄町岡)古奈為神社(同町小苗)天目一神社(西脇市大木町、異論もある)大津乃命神社の6社が登載されている。
大津神社の起源は明らかではないが、伝説では寺内の氏神山の巨岩の洞窟から神霊が降臨したことに始まると伝えている。祭神は大津乃命、品陀別命(応神天皇)気長足姫命(神功皇后)である。大津乃命は古代史料には現れないが、所在地の嶋に加古川の津があったので祀られたと思われる。また、「播磨国風土記」の応神天皇巡行説話に登場する比也野、比也山が対岸にあることから、応神天皇とその母の神功皇后を祀ったと考えられる。
いずれにせよ、津万地域が古くから開発され、一つの中心地であったことは確かである。
なお、本殿左前にある芝居小屋と呼ばれる農村歌舞伎舞台も市内では数少なくなった民俗芸能遺産として貴重なものである。大津神社は、延長5年(927)完成の延喜式神名帳に大津乃命神社として記載されていて、大津乃命、応神天皇、神功皇后の三柱の神をお祀リし、平安の往古から津萬郷はもとより近郷一円の信仰を一つに集め、又、津萬の厄神さんの呼び名でも普く知られ、毎年の厄神祭には、市内外を間わず遠く県外からの参拝者も多数あり、九播地方随一の厄除けの神として信仰されています。
境内社には、高良玉垂命をお祀りする高良神社をはじめ、東照宮社、祇園神社等が鎮座坐し、お参りする人々を守リ導いておられます。津寓厄神の神守護によって衆災消除、健やかな日々を過ごされるよう祈念します。
大津神社創祀の伝説
本村寺内の西方山中に巨岩あり、おおさ丈余中央に洞穴ありその深さ測り知るべからず。口碑に曰く往古此の山の上常に神雲あり午後申刻に到れば即ち濛々漠々必ず日光を遮断す。一夜神雲飄々然として岩洞より出て遂に今の社地に降る。爾来里人拝跪渇仰深く新たに神殿を築き以て奉仕す。「社頭掲示板」
由 緒
延喜式帖神祇ノ十・神名ノ下、多可郡六座の内並小大津乃命神社とあり。国内神名帳には大津明神といい、万治3年(1660)、再建し慶安元年徳川家光将軍より朱印領12石を寄せられる。文化5年(1808)、社殿を修復し爾後多少の修理を加えたるも、其形状に於ては変遷以て今日に至る。
播磨風土記に附近なるこの比也山のほとりを、應神天皇巡幸せらると伝えたれば、其由縁により早くより創立せられたるものなるべし。
-「兵庫県神社庁」-
境内・社叢
社頭 鳥居扁額
社号標 手水舎
随神門 拝殿
狛犬
拝殿右手神馬像 本殿
本殿左境内社 本殿右手境内社
本殿奥境内社
ご神木
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
公共
◆JR加古川線「日本へそ公園駅」より南西へ1400m
◆JR加古川線「比延駅」より北西へ1700m
車 国道175号線
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