式内 天乃石立神社
Contents
概 要
社号 天乃石立神社
読み あめのいわたて
延喜式神名帳 式内社 大和国添上郡 天乃石立神社
所在地 奈良市柳生町(岩戸谷)789
御祭神
御神体は巨石で前伏磐、前立磐、後立磐の3つ(巨石の自然信仰)
例祭日 7月28日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
添上郡(そえがみ):37座(大9座・小28座)
近代社格制度
創建 年代不詳
本殿様式 なし 巨石信仰
境内摂末社(祭神)
文化財
一口メモ
早朝7時前、宿泊した民宿のすぐそばで、宿の人に聞くと運転に自信のある人なら大丈夫だが、お寺(芳徳寺)の手前からも参道があるからそちらをすすめられた。徒歩で15分くらいと言われので、マップでみると集会所横の道路の方が近いのでトライ。山道だが鳥居前まで行けた。小型車なら比較的難しくない。標高330m
鳥居から少し歩くと奇妙な巨岩がある。ぬりかべのような巨岩が人為的に並べたかのように斜めに傾いて並んでいる。
歴史・由緒等
柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社である。延喜式は一千年前延長年間に撰せられたもので、その神名帳には、全国の官国弊社2132座を記載しているが、戸岩谷の天乃石立神社も小社としてその中に加わっている。
天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊盤門戸命、櫛盤門戸命、天盤戸別命となっているが、神体は扉の形をした巨岩(花崗岩)、前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。
前立盤は高さ6m幅7.3m厚1.2mあつて、全体が扉の形をしている。
伝説によると、神代の昔、高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けたとき、力余ってその扉石が、虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。
巨岩崇拝の好適例で,古来土地の人達の信仰は深く強いものがあった。
正保2年(1645)但馬守宗矩は、参道を修理して並木を植えているし、宝永2年(1705)柳生宗弘(のち藩主俊方)は、、能舞台を建て石燈龍を、寄進し、寛保2年(1742)藩主俊平も、石燈寵を寄進している。「社頭掲示板」
調べてみると、拝所からきんちゃく岩と前伏盤、前立盤、後立盤の4つの巨岩はそれぞれの祭神に別けられている。
- 「きんちゃく岩」日向神社―天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 「前伏磐」天立神社―天盤戸別命(あまのいわとわけのみこと)
- 「前立磐」天石立神社―豊盤門戸命(とわいわまどのみこと)
- 「後立磐」天石吸神社―櫛盤門戸命(くしいわまどのみこと)
境内・社叢
鳥居 社頭掲示板
しばらく歩くと巨岩が現れる 手前が「後立磐」 左「前立磐」。右「後立磐」
「後立磐」 よく見えないが奥に「きんちゃく岩」がある
拝殿 本殿はない 手水
一刀石
神社からさらに奥へしばらく進むところに一刀石の案内板
この大きな岩は花崗岩ですが、中央でみごとに割れています。
一説によると柳生新陰流の始祖 柳生宗厳(一舟斎)が天狗を相手に剣の修行をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。
「掲示板」
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
一刀石(いっとうせき)
花崗岩が中央でまるで人が機械で割ったようにみごとに割れている。
一説によると柳生新陰流の始祖柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に剣の修行をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。
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