式内 天穂日命神社(京都市伏見)
Contents
概 要
社 号 天穂日命神社
読み あめのほひのみこと
延喜式神名帳 式内社 山城国宇治郡 天穂日命神社
当初は田中神社と2社あったが後合祀とする
所在地 京都市伏見区石田森西
御祭神 天穂日命(あめのほひのみこと) 相殿 天照大神(あまてらすおおみかみ) 大山咋命(おおやまくいのみこと)
例祭日 11月3日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
宇治郡 10座(大5座 小5座)
式内社 天穂日命神社
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳(天武天皇の代に勧請と伝)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
左 篭守神社(コモリ・子守とも記す)・春日神社・稲荷神社
右 末社・天満宮社と八幡宮社
一口メモ
伏見から山科へ通じる府道36号線と並行して地下鉄東西線の上に延びる広い道路西側(石田小学校前)に参道がある。秀吉の醍醐の花見で有名な醍醐寺の西南で、山城国の式内社122座で最後の参拝となった社である。
式内社 天穂日命神社で、久世郡 石田神社(大 月次/新甞) の論社にもなっている。石田という地名からだろうが、当社は旧宇治郡であり、論拠が乏しい。
歴史・由緒等
もとは石田集落東の台地上にあった。
「社頭掲示板」によれば、
『山城誌』に、田中明神 石田村石田の森にありと。
『万葉集』には「山階能石田森之須馬神亦奴左取向天吾波越住相坂山遠」(やましなの いはたのもりの すめかみに ぬさとりむけて われはこえゆく あふさかやまを)。
『都名所図会』には「石田森醍醐の南にあり。石田社は民家の中にあり」と。
『山城国風土記残編』には、「藤岡の頭に神座天穂日命二座中冬を以て之れを祭る土人麦を以て神供料となすと、藤岡は石田の森のことにて藤の名所なりしなり。」
『神社便覧山州名跡誌』には、
白鳳年中今より約1300年前天武天皇の御宇此の里に忽然として一夜の間に積面(稲苗)数尺その上に白羽の矢あり白髪の老翁来現して曰く、此の地に宜しく天照皇大神と大山咋命を祭るべし然らば永く帝都南方の守護の明神たらんと依りて鎮座し給うと、而して積苗の所石田の森の内にあり今に苗塚と称して伝える所なり。
右にて老翁の告によりて奉祀する二神の鎮座ましますは田中神社と伝え二社ある筈なるも後に二社を合祀したるものと考う。
京都府庁に於いては明治10年6月考証確定の結果左の沙汰書を交付したり。
宇治郡第二組 石田村
其の村鎮座田中明神は延喜式内天穂日命神社に相違無之段今般詮議決定候条此の旨達候事
明治10年6月 京都府
当神社の旧記は皆焼失したる由なるも口碑に伝うる所によれば旧来より氏子農民の内に禰宜と唱うる家ありて其の数二戸ありと。
尚境内に天満宮始め数社を祭る、殊に其の一つに子守神社あり乳幼児の守り神にて燈籠に石を捧げて祈願すれば不思議に夜泣きが止まると近郊よりの来拝者多し。神器祭具等数百年前濃州或いは京都の敬神者よりの寄進になるもの数種あり。
古より有名な歌人によりて詠まれたる和歌今尚数多く伝わる。
当神社は以上の如く最も由緒正しき神社なり。
境内・社叢
社叢
鳥居 社号標
手水舎 拝殿
本殿覆屋
狛犬
本殿左手境内社 篭守神社・稲荷神社・春日神社
本殿右手境内社 八幡宮社 天満宮
苗塚
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
境内北側に参拝用駐車場あり
参 考
「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん
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