式内 宇能遅神社
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概 要
社 号 宇能遅神社
式内社 出雲国大原郡 宇能遲神社
読み:古 ウノチ、現 うのち
合祀 同社坐須美祢神社 出雲国 大原郡鎮座
所在地 島根県雲南市加茂町宇治342
旧地名 出雲国大原郡
御祭神
宇能比遲古命(うのちひこのみこと)、須我禰命(すがねのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、稻田姫尊(いなだひめのみこと)、大国主命
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
大原郡(オホハラ):13座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 大社造 曽木葺
例祭日 11月5日 例大祭
境内摂末社(祭神)
天満宮・大山神社
一口メモ
まだ5時なのに冬は日照時間が短い。恥ずかしくてアップしていいものか、安来市から松江市南部、雲南市東部を駆け足でまわった最後の神社である。
歴史・由緒等
由緒
雲陽誌曰出雲風土記に宇乃遅社同社あり延喜式に宇乃遅神社、同社に坐す須美祢神社と記せり、是則大己貴命須美祢神須佐能袁命も合祭して今俗に三社大明神と言う延徳年中より延宝まで造立再建の棟札あるも文意野俗にして鎮座勧請等不分明即ち古老語に曰往古は三社にて流鏑馬百手の的鷹野なむとの神事ありけるが中古より二社に減して本社計也祭事も多くは止みしか。弓掛松とて老樹あり。古老伝に曰風土記和名鈔に屋裏郷は天下造りし大神矢を合立給う故に矢内と言う神亀3年字を屋裏と改む往昔は屋裏郷一二ヶ村の総産土神にして夛(弓?)掛松に夛(弓?)を掛け矢祭の神事と唱え盛典でありたるが中古改易して祭儀も今は其の礼而己残れり。
明治4年12月村社に列格同39年4月勅令第96号に依り大正3年10月9日本県告示第316号を以て神饌幣帛料を供進なることを伝べき神社と指定せらる。「社頭掲示板」
「延喜式神社の調査」
境内・社叢
参道 随神門
拝殿 本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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