宇賀神社の由緒
今を去る1,200年前、天平5年聖武天皇の御代、733年に作られたものに「出雲風土記」があります。これによると、8世紀はじめの出雲の状況を詳しく知ることができます。また出雲風土記から200年ばかりのちになってできた全国の神社を一覧したものに「延喜式」の神名帳があります。これに載せられている神社は、いわゆる「式内社」と申しまして由緒正しい古い神社であります。
わが宇賀神社は、この両方のいずれにも記載されておりまして、遠く長い昔から、私達の先祖代々の人達によって祭られて参りました。 出雲風土記によりますと、大己貴命が神むすびの命の御子である綾門姫命に求婚されました。ところが綾門姫命は承諾なさらないで、身を隠された。(求婚された女性が身を隠し、それを求婚者の男性がさがし出すのは当時の習慣であって、そのことは播磨風土記にもでております。)そこで大己貴命は、綾門姫命がどこへ身を隠されたのかと、出雲大社をでて、弥山、鰐淵山を経て宇峠のあたりを尋ね伺われた。それで宇賀という地名になったというのです。現在西北方を奥宇賀、東南方を口宇賀と称しております。
『全国神社祭祀祭礼総合調査』 神社本庁 平成7年-
「延喜式神社の調査」さん、より-