式内 宗形神社
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概 要
社号 式内社 伯耆国會見郡 胷形神社
読み: 古 ムナカタ
所在地 鳥取県米子市宗像298
旧地名 伯耆国會見郡
御祭神
田心姫命(たごりひめ) 湍津姫命(たぎつひめ) 市杵島姫命(いちきしまひめ):宗像三女神
相殿
経津主命 武甕槌命 日本武命 上筒男命 中筒男命 底筒男命
誉田別命 伊弉諾命 伊弉册命 大日孁命 素盞嗚命 大国主命
合祀
倉稲魂命 天児屋根命 天太玉命 猿田彦命 鈿女命
阿蘇彦命 阿蘇姫命 保食命 月読命
例祭日 5月3日
社格等
『延喜式神名帳
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
伯耆国(ハフキ・ほうき):6座(並小)
會見郡[アフミ]:2座並小
近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式 大社造
境内摂末社(祭神)
荒神宮
一口メモ
大神山神社の西、山陰道米子道路米子東I.Cに並行して通る米子バイパスを西へ4km。米子南I.C(交差点) を左折して 出雲街道/国道181号線 に入る。日原(交差点) を右折して 反対車線から450mで左(南)の川に参道橋を渡る。
宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)を祭神としており、全国各地に同名の神社が存在している。総本社は福岡県宗像市にある宗像大社である。
歴史・由緒等
創建年代は不詳であるが、往古宗像氏族が、祖先神である宗像三女神を奉じて九州からこの地に来着し、これを斉祀したのが起源と伝えられている。
平安初期の斉衡3年(856)に宗形の神に神階五位上が増叙された旨、文徳実録(日本六国史の一)に所載されている。 ・ 醍醐天皇の延長5年(927)に勅撰された延喜式神祇の巻に、伯耆国六社(会見郡では胸形神社と大神山神社)の一として、国幣小社に列格されている。
戦国時代には武将の崇敬篤く、尼子晴久は、弘治2年(1556)に、宮ノ谷の山頂に鎮座していた社を現在地に遷して新しく社殿を建立し、社領三百石を寄進した。吉川元春(毛利元就の二男)は、更に社領一二〇石を加増寄進すると共に、太刀及び兜(典型的桃形の逸品で社宝として所蔵)を奉納した。中村伯耆守は、社殿修造用材百本を寄進した。
蕃政の世には、歴代の因伯藩主の崇敬篤く、当社を蕃の祈願所に指定し、制礼の建立や池田家々紋を幕・提灯に使用方を裁許し、池田慶徳は自ら社参祈願を行った。
社名は、宗形(文徳実録)、胸形(延喜式)、宗像(明治初年まで)、宗形(明治四年以降)と変遷を重ねて現在に至る。一、御神徳
延喜式内郷社宗形神社は、平安の古より国史、文献に名を連ね、千数百年の歴史を有する当地方の古社であり、会見郡の鎮守宗像庄の大社として尊崇され、海陸交通・厄除開運の守護神として御神威高く、又虫封じの神としても霊験顕著でその名が高い。
一、神社と古墳
神社を中心として周辺に密集分布する宗像古墳は、県下有数の古墳群であるが、これは当地方が、古くから神社との関り合いの中で生成発展して来たことを物語るものであり、往古の社会・文化探求上で重要遺跡として斯界の注目を集めている。「社頭掲示板」
境内・社叢
社号標と鳥居 手水舎
社頭掲示板
参道の鳥居 御神門
御神門反対側 参道
境内の立派な狛犬
拝殿 拝殿扁額
拝殿側面 本殿
境内社 クスの木
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