式内 富能加神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 式内社 出雲国神門郡 富能加神社
読み:古 ホノカ、現在 ほのか
江戸時代は「星神大明神」と称していた
所在地 島根県出雲市所原町城山3549
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
本牟智和気命(ほむつわけ のみこと)  肥長比売命(ひながひめ のみこと)
配祀 伊邪那岐命 伊邪那美命
例祭日 4月12日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
神門郡(カムト):27座(並小)

『出雲国風土記』「保乃加社」

近代社格制度 旧村社

創建     天平5年(733)『出雲国風土記』に「保乃加社」と記載されているのでそれ以前
本殿様式   大社造変態 曽木葺

境内摂末社(祭神)

一口メモ

須佐神社から近い式内多倍神社、帰路に朝山神社と当社は前回、日没で立ち寄れなかった2社。国道184号線が右に大きなカーブする南東だが、入り方が分からず行き過ぎていまい引き返す。住所表示に変更があったのか所原町3549ではナビが示さない。殿森という集落の奥の字城山。ふのかではなく「ほのか」と読む。響きの良い社号

歴史・由緒等

創立年代は不詳であるが永久2年2月再建の棟札のあるところから見れば鳥羽天皇以前に齋祀されたことは明らかである。社伝によれば延喜の御世には社殿も荘厳にして朝廷の崇敬も篤かったのであるが後兵乱の為衰微し何時の頃からか安谷の星神山の中腹の厳密に鎮め奉り麓に拝殿を設けて祭事を執行した。
明治4年12月小野神社に代って所原見々久の産土神に指定された(見々久は明治17年6月御崎神社を産土神に定められ分離)。又明治44年12月現在の小野山領に移転し小野神社を合祀することとなった。

境内・社叢

  
社叢                      社号標

  
鳥居                      石段

  
随神門                     手水鉢

  
拝殿

 
本殿                      境内社

  
境内社                     稲荷社以外は不明

地名・地誌

地 図

島根県出雲市所原町3549

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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