式内 小杜神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

 

Contents

概 要

社 号 小杜神社
延喜式神名帳 式内社 大和国十市郡 小社神命神社
多坐弥志理都比古神社 境外摂社
読み:古 ヲモリ-、現 こもり
江戸時代は「木ノ下神社」とも
所在地 奈良県磯城郡田原本町大字多字木ノ下272
旧地名
御祭神 太朝臣安萬呂(おおのあそん やすまろ)
祭礼 3月12日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
十市郡(トヲチ) 19座(大11座・小8座)

近代社格制度 旧村社

創建     不詳
本殿様式   春日造

境内摂末社(祭神) ナシ

一口メモ

多神社の入口の道を東へ200m。道にこんもりとした杜があり、社号標が見える。

歴史・由緒等

式内社 大和国十市郡 小社神命神社に否定されている神社。御祭神は太朝臣万呂とする。しかし、『多神宮注進状草案』では瓊玉戈神命
、『五郡神社神名帳大略注解」天児屋根命としている。
「延喜式神社の調査」さんによると、
昭和15年、皇紀2600年祭にあたり、県社に昇格し、本殿・境内の拡張が行なわれたが、戦後はその継持が困難となり、社地は全く荒廃し、祭神は多神社に合祀されている。但し、この処置は仮のものとして正式には登録されていない。
現在は本殿の西後方に小祠ありこれがもとの本殿である。

奈良県「歩く・なら」によると、
周辺に数多く鎮座する多神社の若宮(御子神などを祀る社)の一社。『古事記』全三巻を撰録した太安万侶(おおのやすまろ)を祀る。多氏はこの安万侶の代に姓を「多」から「太」に改めたという。
住宅街に接していてなお鬱蒼と生い茂る樹木の中にある姿は、古く「樹森神社」と表記された過去を偲ばせる。学問の神である一方で、“コモリ”の読みが“子守り”へとつながり、安産信仰も育んだ。
1979年1月、奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見され話題となった。ここ多氏の地元では長らく、神社東方の興仁橋たもとの畑の中にある小さな塚「松の下古墳が墓だ」と伝えられていたが、こちらは遺品などを納めた「参り墓(塚)」だと考えられるという。近くに安万侶さんを感じたい、そんな氏子や子孫たちの願いが見えるようだ。

境内・社叢

  
社号標                  境内

  
本殿

地名・地誌

多神社参照

地 図

奈良県磯城郡田原本町多272

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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