式内 小津神社
Contents
概 要
社 号 小津神社
読 み おづじんじゃ
式内社 近江国野洲郡 小津神社
所在地 滋賀県守山市杉江町495
御祭神
〔配祀神〕
御神紋 左三つ巴
例祭日 5月5日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
野洲郡 9座 大2座 小7座
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 三間社流造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
二宮神社 三宮神社 地主神社 市杵島姫神社 稲荷神社 金刀比羅神社 天満神社 龍神社 杉神社
(以下境外) 熊野神社 八幡神社 欲賀神社 岩崎神社 光治神社 天満神社 小津若宮神社 天満宮 若宮神社 二宮神社
文化財
本殿 (重文)
一口メモ
歴史・由緒等
日本武尊の孫小津君がこの地を開拓して農耕に従事し、子々そのこころざしをついで農産の発展をはかり、のち祖神をまつったのが、現在の神社であると伝えられている。允恭天皇の皇姫玉津姫の願により、大宅臣木事連に命じて、宇迦之御魂命をまつって主神と仰ぎ、更に素盞鳴命、大市姫命をまつって現在に至る。社記によれば欽明天皇二十八年洪水により社殿琵琶湖へ流失したとあり、また延喜式内社として庶民の信仰をあつめ、武門名将の崇敬もあり、文応元年相模守越後守在判の御洪湯田の神納もあり、高島郡安積川(安曇川)御網代の寄進もあった。更に建武二年足利尊氏は小津明神領、先例にたがうことなく、境内に甲乙の乱入殺生伐木狼藉を停止せしめる下知状を差したてている。文正・応仁の争乱で兵火に遭い、灰燼と帰した本殿を佐々木近江守高頼によって再建、ついで永正二年の兵乱のため炎上した本殿を山門の僧実観明舜房によって、十八か年の歳月を経て再建、現存の本殿がこれである。神宮寺、智泉院は天台宗山科毘沙門堂の門跡末寺として、社僧によって諸祭儀をいとなみ、今日廃寺となり境内近くに護摩堂のみを残している。旧社格は県社である。
「滋賀県神社庁」
境内・社叢
鳥居・社号標 手水舎
拝殿 中門
本殿(重文) 右手にあるのは二宮神社 三宮神社?
稲荷神社・金刀比羅神社
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