式内 岡田神社(岡太神社 廣田神社境外摂社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 摂津国武庫郡式内社 岡太神社
読み:おかだ
所在地 兵庫県西宮市岡田山4-1
論社 兵庫県西宮市小松南町2丁目
旧地名 摂津国武庫郡
御祭神 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
例祭日 3月5日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
武庫郡(ムコ):4座(大2座・小2座)

近代社格制度 無格社

創建      不詳
本殿様式   春日造

境内摂末社(祭神)

一口メモ

あの神戸女学院大学構内のデフォレスト記念館の前にあるらしいので無理だろうと思って、関連サイトを調べると、書面を用意し許可がいるようなことが書いてあった。半ば駄目でもしょうがないと思いつつ、キャンパス東側の住宅街から歩いて行ける場所をずいぶん探したが見つからない。諦めかけて大学の門(あとでこちらが正門だと知った)が見えた。車で進み、守衛の方に「岡田神社に参拝だけしたいのですが」と聞いてみると、たまたま日曜日で授業がないせいもあったのかも知れないが、にっこりと「どうぞ入って下さい。場所は分かりますか?」「はい、調べてきたのでだいたい分ります」と快い返事をいただいた。坂を進む。神戸女学院といえば関西随一の名門女子大学。中に入ることができてうれしい。途中学生にすれ違った。彼女らは若いにしても毎日長い曲がりくねったこの坂を通学しているのかと思うと結構しんどいだろうと娘を思う父の心境に。

神社は式内坂を登ったすぐ斜め左の目の前の森の中に鎮座する。意外にもすぐ見つかった。さて話は神社から離れるが、神戸女学院も関学も、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けたアメリカ人ヴォーリーズが設計したもの。洋風な文化遺産の建物が立ち並ぶキリスト系の大学構内にあって、春日造りの本殿がぽつりと小さな森に包まれて鎮座する対照的なコントラストが面白い。神戸女学院大学が移転する前からこの丘に鎮座していたのだから鎮護神として大切に残されているのであろう。

歴史・由緒等

武庫郡のの式内岡太神社の論社は、時間の都合上回れなかったが、もう一か所あって、西宮市小松南町2-2-8にある。
並河誠所が享保19年(1734年)『五畿内志』「摂津志」に「岡太神社小松村にあり」と記し、社号標石を設置して式内社と比定した。
廣田神社境外摂社としているのは、この岡田山の岡田神社である。元は独立の神社で、明治11年に廣田神社の摂社となった。

神戸女学院大学の構内にある。明治11年2月22日広田神社の摂社となる。
岡田山の中腹に位置し、南に旧広田部落を見下ろす景観の地にあつたが、いまは、周囲を大学校舎に取り囲まれている。
中世以后頗る衰頽して境内にただ二、三の樹木のみ存していたと伝えられている。
『吉井神主家日記』の文政5年(1822)2月7日の条によると、従来神木のみがあつて祠がなかつたが、この度一坪ばかり練塀を築こうとして広田村の岡田氏数家の寄進により敷地の内に土を運んだが、未申の方に少し石の現われたのがあつたので、これを堀りおこしてみると、横巾一尺五寸、高さ二尺五寸の石祠であつた。驚いて神主に届けでて子細に調べてみると正しく岡田神社の石祠にまちがいなく、後に大阪奉行所の認許を得て即ち本祠とした。
この発掘された石祠は、本殿の床下に今なお保存されている。

-阜嵐健『延喜式神社の調査』さんより-

境内・社叢

  

社叢                           本殿

  

本殿                           デフォレスト記念館と右手が岡田神社

地名・地誌

地 図

兵庫県西宮市岡田山4-1

交通アクセス・周辺情報

参 考

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