式内 己爾乃神社 (上社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 己爾乃神社 (上社)
読 み こじのじんじゃ
式内社 近江国野洲郡 己爾乃神社二坐
別 名 「開発の己爾乃神社」「列系図の己爾乃神社」とも呼ばれている。
江戸時代は「若一大権現」
所在地 滋賀県守山市洲本町1607
御祭神 伊邪那岐命いざなぎのみこと 伊邪那美命いざなみのみこと 天児屋根命あめのこやねのみこと 伊香津臣命いかつおみのみこと 「滋賀県神社庁」
天児屋根命 伊香津臣命 伊邪那岐命 伊邪那美命 明治14年9月22日現在の主神に変更
御神紋
例祭日 5月5日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
野洲郡 9座  大2座  小7座

近代社格制度  旧村社

創建   天長6年(829)
本殿様式 一間社流造

境内摂末社(祭神)

巳爾乃若宮

一口メモ

琵琶湖大橋東詰の国道477号線が直角に折れる角地に鎮座。同じ洲本町内に同名社が二社あり、上社・下社のようである。

歴史・由緒等

由緒
平安時代初期速野庄開発の地を開いた伊香正厚の子厚武によって、淳和天皇の天長6年(西暦829)当社が創建された。太古祭祀を統べる天兒屋根尊と、その支流である伊香氏の祖伊香津臣命とを合わせ祀る。延喜式神名帳所載の、式内社であり、神階は正一位と伝えている。
爾来明治初年に至るまで、「若一権現」と号して栄え、かっては広大な神域を有し、この辺一帯「己爾乃庄」とも呼ばれた。現在の鎮座地名 「列系図」は、むかし神主の子孫が住んだ地と言われている。代々開発の氏子をはじめ、隣村や京都の人にまで篤く崇敬されて、今日に及んでいる。

「社頭石碑」

人皇五十三代淳和天皇の天長六年に伊香厚武が創建したと社伝は記している。伊香厚武とは、伊香宿禰豊厚を大祖とする十一代目の末孫であり、大夫厚武と称した。故に創建時の祭神は天児屋根命と伊香津臣命を奉斎したのである。明治十四年に伊邪那岐命、伊邪那美命を合祀した。延喜式神名帳に記載されている野洲郡九座の内の一座、である。又、吉田家より「正一位若一大権現」の神階を受け、現在もそれを明記した神鏡を有している。中世以来近世まで、遠野山若一王子、蓮光寺との関係が深く、遷座の折は必ず同時となっていたと伝えられている。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢


鳥居

  
社号標                      手水舎

   
入口狛犬

  
拝殿                       本殿中門

  
本殿                       境内社巳爾乃若宮

地名・地誌

地 図

滋賀県守山市杉江町495

交通アクセス・周辺情報

参 考

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