《布甲神社の概要》
式内社、与謝郡20座の一つの小社である。宮津谷の奥、大江山山塊には、普甲山、普甲道、普甲峠、普甲寺跡、普甲トンネルなど実際に現在もあるので、どこかその辺りにあったとされる神社であるが、山地の広い場所でその確かな跡地は確定できていない。フコウというのは恐らく「吹く尾」で、「鉄を吹く尾根」の意味と思われる。あるいは「吹く男」であろうか。
「丹後国式内神社取調書」に引く「丹後国式内神社考」は、
普甲峠の中間に普甲寺の跡あり、夫より少し隔りて鳥居あり、普甲神社なる事疑なし、されど寺は廃絶し分散せる時、神社も何地へか遷せしなり、今之を考るに小田村の内字富久と云地の神社是なるべし、
或書に布甲神社は天之吹尾命、今云温江峠を吹尾越亦吹尾峠と云、又旧記に岩窟内有風気云々、俗謂風穴云々とあるを考ふるに、吹尾峠は布甲峠の旧名なるをふかうと呼ならん、布甲と書るならん、富久の地にある社、中古来妙見と称して太しき古社なり、
とする。そのほか諸説はもと普甲峠周辺にあったとする点では一致するが、現宮津市字小田の富久能(ふくの)
神社とするのは確定ともいえない。