式内 御井神社(島根県出雲市)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号式内社 出雲国出雲郡 御井神社
読み:古 ミヰ、現在 みい
所在地 島根県出雲市斐川町直江2605
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
木俣大神(このまたのおおかみ)…大国主大神の第一子
配 八上姫命(やがみひめ のみこと)…木俣大神の母
例祭日 11月1日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)

『出雲国風土記』「御井社」

近代社格制度

創建     年代不詳だが、天平5年(733)の『出雲国風土記』に掲載されているのでそれ以前にあった
本殿様式   大社造変態 曽木葺

境内摂末社(祭神)

天神社・祇園神社・社日社・
境外社 実巽神社(祭神 御井大神)
生井・福井・綱長井 神社周辺。戦国時代までは社域だった

一口メモ

国道9号線荒神谷交差点を南へ県道183号線の山陰本線踏切を過ぎて西。鳥居のある正面へはぐるりとまわり旧道へ。

歴史・由緒等

オオクニヌシ(大国主)とヤカミヒメの間に生まれた子で、安産、延命の神であるミイ(コノマタ)を祭る神社。周辺にある3つの井戸はヤカミヒメが産湯に使ったとされています。

安産 御井神社 由緒概略

御井神社は、古事記および風土記など日本最古の史書十三の文献に記された由緒ある神社である。
そもそも当社が安産の神また水の神の租であるという謂われは、記紀に記された次の故事による。
大国主大神は因幡の白兎の神話の時むこうで八上姫という心姿の美しい女神を愛され、姫はやがてみごもられた。
臨月となられた八上姫は背の君に会いに出雲大社へ行かれたが、正妻須世理姫の立場を慮り、会わずに引き返された。
そして神奈火山の麓直江の里まで帰られた時産気づきやがて玉のような御子を挙げられた。そこで三つの井戸(生井、福井、綱長井)を順次掘り御子を産湯させてから木の俣に預け、母神のみ因幡に帰られた。
これより御子を木俣神または御井神と申し上げ、安産と水の守護神として全国からの信仰を集めている。
木の俣の 三井の産湯のみずなれば
祈らん人を 守る神垣(神詔)

生井、福井、綱長井

母神八上姫が湯あみされ、また当社木俣神(御井神)を産湯なされた霊泉である。日本最古の井戸で宮中にも御分霊して祭られている。戦国時代までは境内であったという。
本居宣長「古事記伝」に
「祭神五座ノ中、神祇官ニ座ス座摩ノ御座ノ阿須波ノ神、波比祇ノ神、コノ次ノ段ニ出テ同ジ御族ノ神ナリ」とある。
つまり、水神五座の内上段にある神が生井、福井、綱長井、三柱の神である。
三省堂刊「広辞苑」に次のように紀載されている。
生井 生気ある神 子安 病気平癒
福井 (栄久井)栄える井 母子の発展 家運隆昌
綱長井 つるべの綱の長い井 母子の長寿 家内安全

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
一の鳥居                      社号標

  
出雲国風土記「御井社と木俣神」案内板・標柱     二の鳥居

  
手水舎                       境内


社頭掲示板

  
狛犬

    
御井大神降誕像(御井神と木俣神)          拝殿

  
拝殿扁額                      本殿

  
境内社 天神社                   境内社 稲荷社

綱長井 (神社北)

  

生井 (神社から100m南)

  

福井(生井から50m南)

  

地名・地誌

直江

明治22年(1889年) 町村制の施行により、荘原村・出東村・出西村・直江村・伊波野村・久木村の6ヶ村が発足。
昭和30年(1955年)4月 上記6ヶ村が合併し、斐川村が発足。
昭和40年(1965年)4月 町制を施行。斐川町となる。
平成15年(2003年)2月 出雲市、平田市、佐田町、大社町、多伎町、湖陵町との合併賛否の住民投票で反対多数になり、単独町制の道を選ぶ。
平成23年(2011年)10月 出雲市との市町村合併により廃止。
(ウィキペディア)

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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