式内 志筑神社
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概 要
社 号 式内 志筑神社
読み:しずき
通称 天神さん
江戸時代は「申の宮」「田井の天神」、 往古は手間天神
延喜式神名帳 式内社 淡路国津名郡 志筑神社
読み:シチク
所在地 兵庫県淡路市志筑907
旧地名 淡路国津名郡
御祭神 少彦名神(スクナヒコナノカミ)
例祭日 10月1日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
津名郡(ツナ) 9座(大1座・小8座)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 流造銅葺
境内摂末社(祭神)
北野神社、粟島神社
一口メモ
国道28号線から淡路市役所前を県道66号線へ入り、志筑天神交差点を右折すると道に志筑神社という看板があった。すぐ先に参道入口があるのだろうと探したが、パナソニックの工場や団地へ行く道で、ナビを見ながら川沿いの細道を。しかしその御蔭で志筑別神社に近寄ることができた。結局その案内板から細い参道があり右折するのが正解。立派なクスノキが両神社にある。
歴史・由緒等
志築神社
志筑神社由緒記
延喜式の南海道淡路國津名郡九座中の一座(小社)に列し祈年の國幣に預った古社である。志筑天神・手間天神・申の宮とも別稱された。創祀の年代は詳らかでないが、平安朝には平家領神熊野社荘園、鎌倉期には静御前ゆかりの一條中納言家の荘園であった志筑郷の首座の神社として古来から崇敬をあつめてきた。一遍上人繪傳には、鎌倉中期の名僧一遍上人(時宗開祖)が、歿前の正應2年(1289)に當社に参詣したことを記してゐる。祭神「少彦名命」は、大國主命に從って國土經營を果たされた神で、對岸の淡路明神(加太神社)にも同神を祀り、醫藥・技藝守護の神と仰がれる。
鎮座地 兵庫県津名郡津名町志筑字天神907番地
社 格 延喜式内社(小社)、明治6年郷社列格、大正11年兵庫県神饌幣帛供進神社指定。
神 紋 丸に抱き粟穂
神 徳 無病息災・病氣平癒・技藝上達・婦女子守護
境内社 粟島神社 祭神・粟島之神
北野神社 祭神・天満大自在威徳天神(菅原道真公)
祭 禮 5月8日 籾蒔祭(元は太陰暦3月二の申の日)
10月1日 例祭(元は太陰暦8月初の申の日)
氏 子 津名町志筑、中田、王子、池ノ内、大町畑。
一宮町遠田、新村、上河合、竹谷。(計約2000戸)
延喜式とは、延喜年間(901~23)に撰進された格式で、禁中年中の儀式、百官臨時の作法、諸國の恒式を詳細に記した公家の法制書(五十巻)のこと。當時の官祭神社3132座が収録されてをり、これを式内社といふ。「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 注連柱
手水舎
社頭掲示板
拝殿 本殿
本殿左境内社 北野神社 本殿右境内社 粟島神社
境内の大クスノキ 志筑別神社の大クスノキ
宮当番に来られていた地元の方に尋ねたら「クスノキ」で、下の志筑別神社も大きなクスノキだそうだ。これだけ見事なクスノキなのに県や市の文化財にもなっていないのが不思議なぐらい。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
公共 淡路交通「志筑バス停」下車北西へ1500m
車 津名港から、宝珠川を北西に2000mさかのぼる
志筑天神の交差点から400mほど南西
駐車場 あり(30台)
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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