式内 意波閇神社
Contents
概 要
社 号 意波閇神社
読 み おはへじんじゃ
式内社 近江国伊香郡 意波閇神社
論社
意波閇神社(オハヘ) 大鷦鷯命 滋賀県長浜市余呉町坂口290
意波閇神社(オワイ) 宇迦魂神 滋賀県長浜市高月町西阿閉278
別 名 江戸時代は「平野大明神」
所在地 滋賀県長浜市余呉町坂口290
御祭神
御神紋
例祭日 4月8日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
伊香郡 46座 大1座 小45座
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
坂口神社
一口メモ
北陸自動車道獅子ヶ岳S.Aのすぐ北西、国道365号線沿いに鎮座。余呉湖の東に位置する。鳥居をくぐりと境内は広大。
歴史・由緒等
明細書によれば不詳であるが、「近江輿地志略」によると、意波閇神社は、祭神大鷦鷯命、十禅師宮といった式内社である。この森の地帯神域は平野の森、おはへの森、又古書によるとオバセの森とも言っている。本社は天正年中賤ヶ岳の兵火に罹り一切を焼失した為に、由緒は詳やかではない。古老の口碑のよると、境内東西十町余、南北一丁余の山林で、世にオバセの森といい、その中に小坂路があって、伊香具坂と称した。慶長7年大検地の際、北国街道を境内の西に通し、方一丁に、収縮された。元の社殿は腐朽甚だしく、寛永3年小字森の上に位置を変更して造営し、文政10年再び新築現在に至っている。明治元年彦根藩より神社取調べの際、社号を記した標柱が下附せられ、同9年村社に列せられた。延喜式神明帳に意波閉神社と在るは、当社のことである。又オバセの森については徃古は大森林であって、常に盗賊が潜伏し旅人を待伏して悩ませた。境内にあった伊香具坂は、少人数の旅人の場合は、待ち合せ、多人数で難を免れようとした日が7日に及ぶ事もあり、7日坂と称されるようになった。
「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 手水舎
広大な瑞垣(玉垣)
狛犬
拝殿 本殿
本殿左境内社 坂口神社
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