式内 手見神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 因幡国法美郡 手見神社
読み: 古 テミ 現 てみ
江戸時代は「松尾大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市国府町松尾字芋堀田341
旧地名  因幡国法美郡
御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)、市寸嶋比賣命(いきしまひめのみこと)
合祀 素盞嗚尊(すさのおのみこと) 大己貴尊(おおなむちのみこと)
例祭日 4月29日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
法美郡(ハフミ・ほうみ):9座(大1座・小8座)

近代社格制度  旧村社

創建      年代不詳
本殿様式    流造 檜皮葺

境内摂社(祭神)

一口メモ

国府町の式内社で、前回時間的に遠くてパスした神社。鳥取市街から国府町の東部雨滝という有名な滝に向かう雨滝街道(県道31号線)を、学行院という有名なお寺の近くらしいが見あたらないし、だんだん奥の細い道になったので、後戻りして付近で尋ねると学行院のさらに奥にあると聞く。やはりそうらしい。学行院前の川沿いにカーブの多い細い道の集落はずれにある。

陽が傾き始めていたが、兵庫県へ帰るには県道31号線を蒲生まで行く方が近道らしいので雨滝街道を行くことにした。ダムがあるためかきれいな二車線の道路が通っていて、途中に楠城という集落があった。その名の通り城跡が名所となっているらしいが、雨滝同様に日が暮れかけているので今回はパスした。 雨滝を抜け十王峠を越えた途端に道が急に狭くなり、とんでもない山道で、雨滝手前で院内を通る37号線から回れば良かったかなと後悔するが後の祭りである。しかし式内捜しで慣れてはいるもの、くねくねと狭い山道は、とても遠く感じた。

歴史・由緒等

往古は山上に鎮座。その後現在の地に遷る。

境内・社叢

  
鳥居                           参道石段

  


拝殿


拝殿・本殿


赤い屋根があった。ご神木が伐られた後に祠の屋根で覆われているようだ。

地名・地誌

地 図

鳥取県鳥取市国府町松尾341

交通アクセス・周辺情報

学行院(がくぎょういん)

真言宗醍醐寺派。開基、和銅年間(708~715)。慶長9年(1604)覚行が再興。和銅年間この地に花慶山光良寺の七堂伽藍が建立され、行基作の本尊を初め千体の仏像が安置されたと伝えられる。寺院建立に際しては、地鎮のため、多くの人が賀露の浜から塩水を瓶に入れ運んで地固めをしたのでこの地には蟻が生息しないとか。本尊薬師如来は特に霊仏で、十二年毎の御開帳の際のみしか直接尊顔を拝することが出来なかったともいわれている。戦国時代の動乱に、光良寺の伽藍は焼かれ、本尊外今に残された仏像は土地の人が寺から持出し草を覆い土を盛って難を逃れたことから土堂薬師と呼ばれるようになったという。開基以来のものと思われる本尊の木造薬師如来像、脇侍の日光菩薩、月光菩薩、吉祥天立像の4体が国重要文化財。

由緒ある古刹。行基作の薬師如来・日光菩薩・月光菩薩・吉祥天立像は秘仏で珍しい。

★ 所在地:鳥取県岩美郡国府町松尾55
★ 交 通:鳥取駅からバス吉野橋下車、徒歩10分
★ 連絡先:0857-58-0517

参 考

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