式内 水口神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 水口神社
読み みなくちじんじゃ
別 名

式内社 近江国甲賀郡 水口神社
所在地 滋賀県甲賀市水口町宮の前3-14
御祭神 大水口宿祢命おおみなくちのすくね
〔配祀神〕大己貴命
御神紋 五七の桐
例祭日 4月 20日 水口曳山祭

社格等

古代社格制度 『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
甲賀郡 8座  大2座  小6座

近代社格制度 旧県社
創建   年代不詳
本殿様式 一間社流造

境内摂末社(祭神)

武雄神社 玉津米神社 日枝神社 稲荷神社 水口恵比須神社

文化財

水口曳山祭 〔水口祭保存振興会〕(県無形民俗文化財)

一口メモ

国道307号線甲賀市役所の北に隣接。撮影は夕方5時で、逆光となり、黒っぽい。日中ならもっと美しく撮れたのに。。。

歴史・由緒等

社伝によれば御祭神の大水口宿祢命おおみなくちのすくね饒速日にぎはやひみこと六世出石心大臣の御子で、出石心大臣の命の御母は淡海川枯姫あはみのかはかれひめである。淡海川枯姫は、川枯首阿目加伎袁命四世の孫阿自夷沙比止命の後であって、川枯神社に祀る。大水口宿祢命は母方の縁に依り、此の地に居住されたものと思われる。土地の開拓の神として人々の崇敬が篤い。

当社は延喜式内の旧社であって神名帳にある甲賀郡八座の一つである。本社の境内は往古は東西三十町南北二十五町を所有していたが永禄年間にその大半を官没され、天正年間に至り社領を失ない、わずかに五十六間四方を残したという。寛文三年六月代官小堀仁右衛門が水口へ赴任の時郷民に命じて再建させ、明年五月に至って竣工した。元禄十年拝殿の補修、正徳二年六月下野国壬生城主の加藤和泉守嘉矩が水口へ入城、本社の荒廃を嘆じて町民に造営をさせ、享保十四年九月遷宮を行ない、同十九年修復を加える。延宝の頃よりの旱魃かんばつの時雨乞祭を行なう。その時藩主の参拝又は代参があった。明治元年九月聖上、御東幸の時勅使を差遣せられる。明治二十七年六月十四日境内を拡張し社殿の造営に着手し、同三十年四月竣工、これが現在の社殿である。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  
鳥居・御神燈                   太鼓橋

  
手水舎                      拝殿


社頭御由来案内石碑

  
中門・玉垣                    中門

   
中門前狛犬

  
玉垣内祝詞舎                   御本殿

  
本殿右手 武雄神社               日枝神社・水口恵比寿神社


本殿左手 玉津米神社

地名・地誌

地 図

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滋賀県甲賀市水口町宮の前3-14

交通アクセス・周辺情報

参 考

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