式内 河辺神社
Contents
概 要
社 号 式内 河辺神社
式内社 出雲国飯石郡 川邊神社
「河邊社」『出雲国風土記』
江戸時代は「駒形大明神」
読み:古 カハヘ、現 かわべ
所在地 島根県雲南市木次町上熊谷字中ノ段1462-1
旧地名 出雲国飯石郡
御祭神
久志伊奈太美等與麻奴良比賣命(奇稲田媛命)
配祀 清之湯山主三名狭漏彦八島篠命
相殿
誉田別命 気長足媛命 足仲彦命 上津海童命 中津海童命 下津海童命
例祭日
11月1日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
飯石郡[イヒシ(イヒス)]:5座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 明神造
妻入りなので大社造と思えるのだが、聞きなれない明神造とある。江戸時代は「駒形大明神」とされていたから、明神造?神明造の間違いかと思ったが神明造は平入りなので明らかに違う。
※隠岐の島の由良比女神社の本殿を明神造りとしてこう書かれている。
建築様式については、かつて「大社造変態」と称していましたが、「春日造」に近い処から現在では、「春日造変態」ということになっています。しかし、このような様式のものを出雲では「明神造」と称しています。県内の建築様式一覧(神国島根)にも「明神造」が数社ありますが恐らくこれは同系のものだと思われます。
由良比女神社は、昔はするめ大明神と言われてました。これは社前のゆらの浜に11月末から3月初めまでイカが押し寄せるからです。戦前は見張りの番小屋がいっぱいに並んでいて、くじ引きで場所を決め、中にコタツを入れてイカの来るのを待ってました。波の穏やかな夜、月の出る頃、月の入る頃に寄るといわれています。
境内摂末社(祭神)
八坂神社 若宮神社 金比羅神社 八乗比売神社
一口メモ
雲南市木次町上熊谷中ノ段は、出雲の大川、斐伊川が大きくカーブする内側左岸の堆積地のその名の通り川辺に鎮座する。
歴史・由緒等
初め下熊谷の境に近い鳥帽子山麓、斐伊河畔の正理にあつた
その後現在の地に遷された。
当時は、下熊谷の境の烏帽子山の麓字松林の地に鎮座せしも後に中央の船津の現在地に移転している。
(嘉祥4年(851)に神階六位上に叙せられ明治5年に村社に列せられた)
往時は境内二十五間四方本殿より鳥居までの参道の長さ六十四間(115m)あったが、明治6年の洪水により境内流失堤防構築等により風致大いに変わった。
明治38年上熊谷地内に鎮座せる正八幡宮、海原神社を当地に合祀。明治44年に並列的に建てられていた三神社を現在の相殿とした。
その後、老朽化し昭和42年11月遷宮を執行し今日に至っている。
平成5年11月吉日
「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 鳥居扁額
社号標 手水鉢
広々とした清潔な境内
口元の塗色がまだ鮮やかな狛犬は珍しい
拝殿 石段右手の手水
社頭掲示板
拝殿 本殿
境内社 ご神木(神籬)
社日塔(地神塔)
社日
ウィキペディアに、社日(しゃにち)とは雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。社日は古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。
春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。ただし戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸(みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある。
この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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