式内 矢田部神社
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概 要
社号 式内社 丹後国與謝郡 矢田部神社
読 み:古 ヤタヘ、現 やたべ?
所在地 京都府与謝郡与謝野町石川字矢田4626
旧地名 丹後国與謝郡
御祭神 伊香色雄命(いかしこお のみこと)
例祭日 4月25日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)
一口メモ
野田川に沿って国道178号線を石川小のある中地交差点か、手前の亀山交差点先から斜めに東へ。府道16号で南に折れる。大宮神社と大宮会館を過ぎると道幅が狭くなり、左手に式内社 矢田部神社の社 号標があった。
獣よけの電線が張られているが、参道からは解放されていた。大宮神社が主になっているようで、古い式内社はたいがい元々は山上にあった社を、のちに麓の村はずれの奥まった場所に遷座したり、中心部に遷座して経過が面白いもので、消滅して所在地不明な式内社もある中、古い集落は一つの区内に複数神社があるケースが多い。どこも氏子だけでは維持管理が大変だ。日が暮れかけて薄暗くなりかけていたせいもあろうか、いかにも寂しい感じのする佇まいながら、式内社めぐりにとっては、有名な神社よりあまり参拝されずに自然の中にそのまま残された神社にたどり着くと、苦労した分見つけたちきは得した気分になる。
歴史・由緒等
矢田部神社は延喜式内社としての古歴を有し祭神には伊香色男命をご神体には神鏡を祀る。
当神社の元鎮座地が加悦町番河にあり後流失して移ったと里老が伝えている。又今の浪江の入り口北方南受けの田地を矢田部と称し元の鎮座地ともいう。創祀年代は不詳、伝承上にも諸説があるがこの矢田山麓地付近に鎮座して古くからの祭りがつづけられてきたことは違いない。
中世社運傾き矢田荒神とも呼ばれて荒神崇拝と混淆されましたが町内数少ない式内社の一つである。
神殿は流れ造りこけら葺き、建袖形式は整っているが構造は全体に平易簡明な造りで煩わしい但物彫刻を避けた清楚な形で相当の年歴を経ている。
天保14年(1643)の棟札があるがこれには「奉納弥田神社小森大明神成就棟上」と書かれている。
花崗造り明神形の鳥居には文化11年(1814)氏子中の刻銘がある。祭事は4月24日に太刀振りが奉納される。
ー「社頭掲示板」ー
うす暗く露出不足なので手ぶれ気味
境内・社叢
社叢
鳥居 手水
本殿
夕方で日が当たらない林の中なのでなおさらブレ気味。
地名・地誌
石川
野田川河口部の南岸に位置するかなり広い範囲。集落は上地・中地・下地・川上・大宮・亀山・堂谷の七地区、中地・下地がその中心をなす。主に野田川支流の香河川の肥沃な扇状地で、通称「石川たんぼ」といわれる広い耕地があり、「玉の木石」で知られる良質な花崗岩石材の生産加工業も行われている。「和名抄」の物部郷に比定され、弥生の古くから栄えた地。
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