式内 石坐神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 石坐神社
読 み いわいじんじゃ
別 名 江戸時代は「八大龍王社」

式内社 近江国滋賀郡 石坐神社

所在地 滋賀県大津市西の庄15-16
御祭神 総合御神名 淡海石坐大神

東殿  八大龍王宮  海神豊玉比古神 (神武天皇御祖父神)
彦 坐 王 (開化天皇第3皇子)
正霊天王宮  天智天皇 (天命開別天皇)
大友皇子 (弘文天皇)
伊賀宅子媛 (大友皇子御生母)

西殿  天上将来宮(天神地祇)
淡海龍王宮(淡海龍王神)

御神紋 左三ツ巴
例祭日 5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
滋賀郡 8座 大3座 小 5座

近代社格制度

創建   伝:朱鳥元年(686)現地に遷
本殿様式 三間社流造檜皮葺

境内摂末社(祭神)

福徳社(石坐七福神) 氏 神 社(佐田彦神)
奥宮  御霊殿神社(石坐大神・八大龍王神)
稲荷神社

文化財

本殿 (県指定文化財)

一口メモ

JR大津から東のJR膳所駅の東。旧街道らしき場所に鎮座。丹波・但馬の開祖彦坐王にゆかりのある神社。瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその四代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのに始まると考えられる。天日槍を祀る鏡神社、息長帯比売命(神功皇后)など近江と但馬は国の起こりにつながる神が多い。

歴史・由緒等

  
鳥居                       拝殿

  
手水舎                      中門・本殿

   
狛犬


社頭掲示板

  
稲荷神社


御神木

境内・社叢

創祀年代不詳であるが、社伝、社家古伝によると、当社の創始は、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその四代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのに始まると考えられる。彦坐王の御事蹟は明白ではないが、治田連とその一族は、湖南地域一帯の水利治水、農・漁業の開発・発展に大きな成果をあげたため、これを尊崇した地域住民がその一族の祖・彦坐王を開発の先達として崇拝するに至ったものと考えられる。
下って天智天皇の八年に旱魃かんばつがあり、その時毎夜湖水から御霊殿山に竜燈が飛んでいった。里人の奏聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童の形に変じ、「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう」との御託宣があった。天皇は叡感ななめならず、勅して御霊殿山上に海津見神を斎祀した。毎年九月九日に祭典を行い、旱天の時は炬火を点じて登山し雨乞いをしたが、いつも霊験があったという。前述の幸魂は、彦坐王の霊ともいわれる。
壬申乱後、天下の形勢は一変し、近江朝の神霊の「天智帝・大友皇子・皇子の母宅子媛」を弔祭できるのは一乗院滋賀寺のみとされ、他で祭祀するのは禁じられていた。そこで持統天皇の朱鳥元年に滋賀寺の僧・尊良法師が王林に神殿を建てて御霊殿山の霊祠を遷すと共に相殿を造って近江朝の三神霊をひそかに奉斎した。この時から八大龍王宮と称え、石坐神社とも称した。
光仁天皇の宝亀四年、石坐神社に正一位勲一等を授けられ、「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜っている。ここにはじめて、近江朝の三神霊が公に石坐神社の御祭神として認められたのである。
『滋賀県神社庁』

地名・地誌

地 図

滋賀県大津市西の庄15-16

交通アクセス・周辺情報

ホームページ  http://www.iwaijinzya.org/

参 考


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