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社 号 式内 石部神社
読み:いそべ
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 石部神社
読み:イソベ
所在地 兵庫県加西市上野町69-2
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神
主祭神 市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
配祀神 田心姫命(タゴリヒメノミコト) 湍津姫命(タギツヒメノミコト)
例祭日 10月17日
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 養老3年3月芸州宮島より勧請
本殿様式 春日造 檜皮葺
石部神社門杉 市指定文化財(天然記念物)
石部神社も、式内社で多い社名である。石工を司った職人部のことをさすのか分からないが、式内社で但馬では兵庫県豊岡市出石町の石部神社、兵庫県朝来市の刀我石部神社、朝来石部神社、丹波では兵庫県丹波市氷上町に山へんに石と書く石部神社、京都府船井郡京丹波町に出石鹿岩[磯]部神社などがある。道路から神社の大きな杉が目立つ。やはり市の天然記念物に指定されていた。
由 緒
養老3年(719)、宮島より勧請。養老元年(717)元正天皇の皇女勅を奉じて宮島の厳島神社へ参詣され、37日21夜の祈祷を終えられ海路ご帰還の砌り風波強くご遭難甚しく播州室津に上陸。この地に至りご静養せられしも遂に崩御遊ばされたるを以って、里人等は三津山の山頂に御葬り奉り同山腹の地に神社を創建し、皇女崩御の際「身が守護神は伊知岐島姫命なり、これを迎えて此の地の産土神と崇め祀れ」とご遺言遊ばされたるにより、そのご遺言を体し宮島のご分霊を勧請し産土神として奉斎し、そのご神徳を仰ぎ奉れるものと伝えられる。
「式内社」として神名帳にも所載せられ慶安2年徳川将軍家光社領朱印5石を寄進し、境内山林竹木の諸役を免除され爾来将軍家の崇敬厚く、維新まで続いたが、明治元年(1868)還納。
鎮座地の在田郷は播州赤穂浅野家の領地であったため、浅野家の崇敬亦格別であった趣で、正保年間(1645~1648)浅野長直公巡歴の際、本神社及び神護寺の為に特に添挙状を書かれ将軍家へ差し出される等の事あり、現在拝殿正面に揚出されている黒馬の額は浅野家の献納と伝えられる。
明治7年(1874)、郷社に列せられる。
-「兵庫県神社庁」-
全容 社号標
手水舎 御由来石碑
社頭案内板
拝殿入口左右の門神社
割拝殿
狛犬
拝殿扁額 本殿
本殿左境内社 本殿右境内社
境内右手境内社 皇塚古墳登り口
皇塚古墳
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他