式内 筑陽神社・同社坐波夜都武自和氣神社
Contents
概 要
社 号 式内 筑陽神社
読み:古 チクヤ、現 ちくよう
式内社 出雲国意宇郡 筑陽神社
出雲国風土記「調屋社」(つきやのやしろ)
江戸時代は「大森明神」
式内社 出雲国意宇郡 同社坐波夜都武自和氣神社
読み:古 ハヤツムシワケ
所在地 島根県松江市東出雲町下意東815
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
筑陽神社:事代主命(ことしろぬしのみこと)
合殿 同社坐波夜都武自和氣神社 速飄別命(波夜都武自和氣命)(はやつむじわけのみこと)
例祭日 10月16日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
『出雲国風土記』 「調屋社」
近代社格制度 旧村社
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に記載があるのでそれ以前
本殿様式 大社造変態 柿葺
境内摂末社(祭神)
伊勢宮・天満宮・住吉社・笠森稻荷社・出雲大社・宗忠社・金刀比羅社
一口メモ
国道9号線を安来市から松江市東出雲町へ入るとすぐ北側に300m。
歴史・由緒等
境内社に伊勢宮(天照大神)、天満宮(菅原道真ほか二神)があります。
出雲国風土記には「調屋社」の名で見えており、式内社です。合殿にまつる波夜都武自和気命には、従五位下の神階が授けられ、意宇郡東部の重鎮でした。中世以降は大森大明神と称した時代がありました。社殿が今の社地に移ったのは寛永6年(1666年)の大洪水の被害のときで、度々社地を転じています。
中世よりの神主はこの土地の六社を主宰してきましたが今は廃絶して、古文書や社宝は散逸、幸い写本の類が遺存して貴重です。
-『松江市観光協会公式サイト』より-
古くは現在地の南方約1Kmのところの、現在馬場山といつているところに鎮座したが、天正8年(1580)現在の中意東の、意東川の川辺で、現在元宮といっているところに遷座し、寛文6年(1666)意東川の氾濫により、再度遷して現在地に鎮祭した。
事代主命を主祭神とし、速飄別命がまつられ境内社には伊勢宮(天照大神)と天満宮(菅原道真ほか2神)がまつられています。「出雲国風土記」には「調屋社」の名で記されています。社殿が現在の位置になったのは、寛永6年(1666)の大洪水の時で、筑陽川の氾濫により度々社地が変わっています。中意東字元宮を社地とした時には、神宮寺もあり、流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われ、馬場頭、馬場尻などの遺存地名も残っています。
「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 手水舎
社頭案内板
参道左手境内社 参道左手上忠魂社
随神門 拝殿
狛犬
拝殿扁額 拝殿欄間彫刻
出雲大社のご神紋「二十亀甲に大」の賽銭箱 拝殿内
本殿
土俵
本殿左境内社天満宮 右伊勢宮
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
松江市観光協会、「延喜式神社の調査」さん、他
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