式内 粟神社
Contents
概 要
社 号 粟神社
読 み あわ
古く、「粟明神」(山城名勝志-1705・江戸長喜)・「稲粟明神」(大日本神祇志-1873・明治初年)・「稲粟大明神」(特選神名牒-1873)などと称していた
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 粟神社
所在地 京都府城陽市市辺大谷68
御祭神 粟神(祭神不詳)
粟直祖神『神社覈録』
少名産名『綴喜郡誌』(1908)…(少彦名命のこと)
天日方奇日方命--神名帳考証(1733)
例祭日 4月8日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡(ツヅキ) 14座 大3座 小11座
式内社
近代社格制度 旧郷社
創建 伝:孝安天皇の御代
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
国道307号線を東へJR奈良線を越えて青谷橋交差点を過ぎると木津川支流青谷川対岸沿いに、まだGooglemapに記載されていない広い道路に入る。ナビが不正確になり小橋を渡り307号線へ戻り、目的地を確かめて細道を進むとその広い道路と交差しその少し先に小さな鳥居が見えた。その新しい道路は307号線バイパスだ。なぜ民家のない雑木林の寂しい場所に式内社が鎮座しているか不思議な気がした。
ネットで調べると、昔はこの辺りに集落があったそうだ。
歴史・由緒等
城陽町史(1969)によれば、「もと今のところより東へ約5、600m余り、小字松尾(鎮守屋敷という)にあったが、中古、今の地に遷したと伝えられる」
市辺の集落はかつて当社付近にあったと言われ、青谷川の氾濫によって現在地ヘ移動したという。従って現粟神社は集落からは完全に孤立している。
地図を見ると市辺という地区は広く青谷川対岸のこの辺りまでが東端にあたるが、市辺の中心部から離れており、普段訪れる人も少ないようである。バイパスができたのでそのすぐそばになり交通至便になっている。
境内・社叢
社号標 手水
拝殿 拝殿内から本殿正面
本殿覆屋
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
JR京都線・山城青谷駅の東約1.5km
参 考
「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん
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