式内 荒木神社
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概 要
社 号 式内社 丹波国天田郡 荒木神社
読み: あらき
江戸時代は「十二所権現」
通称:荒木の権現さん
所在地 京都府福知山市堀字荒木山152-2
旧地名 丹波国天田郡
御祭神 天津神(あまつかみ)
例祭日 4月16日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
天田郡(アマタ):4座 並小
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 檜皮葺
境内摂社(祭神)
一口メモ
兵庫県丹波市市島町から国道175号線を北に進む。京都府との府県境の塩津峠を越えて、約5 kmの森垣で西へ折れ、約2 km行くと荒木集落で公会堂のある道を左折する。そのまままっすぐ700mで鳥居が見える。急な参道を登ると恐ろしい程遠そうなので、車で近道がないか探した。右に貯水池まで行けたが、たいして距離は変わらなさそうだ。
そこから参道の坂道は緩いがとても長い。ハイキングにはいいかもしれないが、なかなかたどり着けない。ひたすら歩いて次の参道石段を登るのはきつかった。往時の古社地のままだとすれば、神社の派生を知る上で、貴重ではある。
帰路は福知山市今安の天照玉命神社へ。国道9号線への近道は、北東へ広い道を1.8km進み、国道9号線を西へ。
歴史・由緒等
俗に「荒木の権現さんと敬愛される当社は、延喜式内社として名高く。また背景の山を神南備山とも呼ばれて(神並山、神南山)親しまれたが、中古この山に真言宗の寺院を建立、当時30か寺と伝えられ、天神7代、地神5代を一二所権現として栄えた。
その後、室町末期には仁木義尹が荒木一学と策して籠城し、細川・内藤・波多野等と戦い、また永禄元年(1558)荒木勢と丹波の赤井悪右衛門との戦いで度々兵火に罹り、神殿や寺坊を全廃した。
その後、徳川時代寛文九年(1669)福知山藩の寺社奉行、中目権兵衛盛治が朽木昌俊に従い土浦から赴任した際に古記を調べて荒木神社を再興した。また拝殿は昭和7年に再建された。
例祭は4月16日である。
常磐なる神なび山の榊葉を
さしてぞ祈るよろずよの為
と藤原義忠は千載集(1036)に詠んでいるが、後朱雀天皇即位大嘗会の際神遊歌として有名である。
昭和60年春「社頭掲示板」
境内・社叢
社頭掲示板
社号標 鳥居
鳥居扁額 手水舎
石灯籠 古そうだが説明がないので不明 さらに長い石段
狛犬
拝殿 拝殿・本殿
神楽殿(舞殿)? 横の境内社
境内社 社殿右奥に登り道がある この上にも境内社かなにかあるのかも知れない
鳥居左の末社 厳島神社
本殿右奥に参道らしきものがあったが、もっと上に社があるのかも知れないが、下からは何も見えない。少し恐いので登らず。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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