式内 荒見神社(城陽市)

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 荒見神社
読み あらみ
明治21年1月9日に荒見神社と改称するまでは、阿良美五社大明神とか安羅見五社天神宮と称していた
延喜式神名帳 式内社 山城国久世郡 荒見神社
所在地 京都府城陽市富野荒見田165
御祭神 天照國照彦天火明櫛玉饒速日命あまてるくにてるあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと  天香山命あめのかぐやまのみこと  天牟良雲命あめのむらくものみこと  阿比良依姫命あひらよりひめのみこと  木花開耶姫命このはなさくやびめのみこと
本来は大歳神一座
例祭日 10月1日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
久世郡 24座(大11座 小13座)
式内社

近代社格制度 旧村社
創建       大化3年(647)9月
本殿様式    三間社流造

境内摂末社(祭神)

摂杜御霊社 菊水神座

文化財

本殿 国重要文化財
御霊社 府登録文化財
神門、透垣、中門 城陽市文化財

一口メモ

国道24号線JR長池駅西側交差点を南西へ入るとすぐ道の北側に大きな当社の杜がある。
山城国久世郡 荒見神社論社は当社と城陽市富野に2社ある。両社とも5座となっているが、延喜式(927)では一座とあり、風土記(713)逸文では大歳神一座という。

式内 荒見神社論社
荒見神社 祭神:天火明尊・天香山尊・天村雲尊・阿比良依姫尊・木花開耶姫尊
京都府城陽市富野字荒見田165
荒見神社 祭神:武甕槌命・応神天皇・仲哀天皇・別雷大神・倉稲魂命
京都府久世郡久御山町田井字荒見49

荒見神社の荒見とは、荒水(水害)の転訛であり、木津川の氾濫を鎮める水神を祀っていたとみられている。 『京都府の地名』

久御山町田井の当社と城陽市富野の荒見神社は、ともに木津川沿いの右岸に鎮座し、直線距離は6.25km離れている。どちらも式内社の決定的な確証はないが、どちらも木津川の氾濫を鎮める水神を祀る場所としてはふさわしい。

式内・荒見神社の創建由緒・年代等は不明だが、山城国風土記(713)・逸文(金沢文庫『伊勢内宮』引用)に
「荒海の社(祗の社) (祭神)名は大歳神」
とあり、8世紀初めには実在していたとみられるが(荒海=荒見)、それが富野の荒見神社か田井のそれかは不明。
公的には、明治10年(1877)、田井にある荒見神社を式内・荒見神社と認定したというが(式内社調査報告・1979)、その認定根拠など不明。
「戸原のトップページ」さん

歴史・由緒等

荒見神社は平安時代中期に編纂された「延喜式」の神名帳に記載されている名社。当初、五社ケ谷の山中にあったが、室町時代に現在の場所に移り、以来、旧富野荘村の産土神として崇敬を集めてきた。重要文化財に指定されている本殿は慶長9年(1604)に再建されたもので、唐獅子や若葉の彫刻など細部に桃山時代の特色が示されている。

荒見神社には豪族・水主(みぬし)氏が関わったともいう。水主氏は山城国久世郡水主郷を起源とし、水主直(古代の尾張氏族)の子孫という。水主は水取(水部)の略であり、水門の管理に当った。祖神は天火明神とされた。
水主氏が関わったとされる周辺の延喜式比定の社に水度神社、水主神社がある。

「京都風光」さん

御由緒

おやしろは皇紀1307年即ち大化三年(648)に五社谷の浄地に創建され、寛正二年三月に今の神地にご遷宮。御社殿は慶長九年九月三日再建。明治中頃まで安楽見天満宮の御社号なり。
三間社流造で元国宝。学業達盛、子守の神様、安産育児、延命宝寿、子孫繁栄、家事隆盛、交通航空安全、建築業に宝運の御加護を垂れ給ふ神々をまつる信仰社。
神井の湧水は諸禍退散生命根源の神水なり。
古くより宮座あり古儀を伝えて西富野宮座現存す。
「社頭案内板」

境内・社叢

  
鳥居・神門                       社号標

   
参道狛犬

  
手水舎                       舞殿・幣殿

   
瑞垣狛犬

  
幣殿                       本殿


摂社 御霊社

地名・地誌

地図

京都府城陽市富野荒見田165

交通アクセス・周辺情報

JR奈良線「長池」駅下車、徒歩5分
近鉄京都線「富野荘」駅下車、徒歩15分

参 考

「延喜式の調査」さん


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