式内 西刀神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社号 式内社 但馬国城崎郡 西刀神社
読み: 古 ニシト 現 せと
江戸時代は「三宝荒神宮」「式三宝社」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市瀬戸字岡746
旧地名 但馬国城崎郡田結郷
御祭神
主祭神  西刀宿袮命(セトノスクネ)(土木の神)
配祀神 稲背脛命(イナセハギ)(航海の神)

例祭日 10月15日 神輿1基・檀尻2基・樽神輿2基・稚児行列による巡行
村内4か所の御旅所を巡り、夕刻には境内広場にて競合いが行われ、餅撒きをもって終了する。

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)

近代社格制度 旧村社

創建
本殿様式

境内摂末社(祭神)

金比羅神社、天満神社、恵比須神社、三宝荒神社、祇園社

一口メモ

日和山城崎マリンワールド内。
竹野から山陰海岸をつなぐ県道11号(旧山陰海岸有料道路)を通り、日和山城崎マリンワールドへ。マリンワールドへ結ぶトンネルから行けたのだが、どこにあるか念のため瀬戸から登る。連休で竹野浜も城崎マリンワールドも家族連れで賑わっていた。子どもの頃から親戚の叔母さんが働いていたこともあって、お婆ちゃんによく連れてきてもらった。また、娘がまだ小さかった頃数回遊びに来た場所。

敷地内に神社があったことなど、これまで興味もなかったので忘れていた。大型バスの駐車場奥に小さな柳原神社があり、さらに右手に西刀神社がある。

歴史・由緒等

由 緒

稲背脛命は、天孫降臨に先立ち出雲の国、大国主命のもとに使者として行かれ、事代主命に会見し、国譲りの諾否(古語いなせ)を求められた。

長途の旅を健脚に托し、勲功をたてられたので「いなせ脛命」の御神名がある。

国譲りのため長途の旅路を陸路、海路共に安全且つ速かに目的を果されたので、陸上、海上の交通安全、同胞一和の守護神として崇敬されています。

仁徳天皇の御代(458)円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような一大入江であった。この時、海部直命(但馬五社絹巻神社の祭神)は、御子・西刀宿禰に命じて瀬戸の水門を浚渫*1し、河水を海に流し、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝えられております。

依って土木建築の神、交通安全、地方開発、同胞一和開運の祖神として当社に祀られています。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬故事記』城崎郡に、

人皇17代仁徳天皇の秋8月、
水先主命の子 海部直命をもって、城崎郡司兼海部直と為す。
海部直は諸田の水害を憂い、御子の西刀宿祢命に命じて、西戸(せと)水門を浚渫(しゅんせつ)*1さす。
ゆえに御田がたわわなる功有ると云う。
海部直は水先主命を深坂丘に葬る。(式内深坂神社:豊岡市三坂)

人皇18代履中天皇は、海部直命の子 西刀宿祢命(せとのすくねのみこと・今の字は瀬戸)をもって、城崎郡司と為す。西刀宿祢命は海部直命を気比丘に葬る。
海部直命は在世中、仁政多く有りき。ゆえに農人(農民)・海人(あまひと・漁師)等は父母を失ったごとく哀泣す。はてに相謀(相談)り、国司に請い、祠を建て、これを祀る。海神社、これなり。(絹巻神社)

人皇22代(異説あり)雄略天皇の2年秋8月、
西刀宿祢の子桃嶋宿祢を以って、城崎郡司と為す。桃嶋宿祢は西刀宿祢を瀬戸に葬る。西刀宿祢は一に阿刀宿祢という。

(*1 浚渫(しゅんせつ)
港湾・河川・運河などの底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事のこと。)

(因みに、円山川の河口を切り開いたのは、出石神社は天日槍(アメノヒボコ)とし、小田井縣神社では、国作大己貴命(オオナムチ)としている。)

同じく祭神 稲背脛命を祀る神社に、
伊奈西波岐神社(島根県出雲市大社町鷺浦)
御祭神  稲背脛命
合祀神  八千矛神(大国主神)、稲羽白兎神、稲羽八上比売命
御由来に、

御祭神の稲背脛命は出雲国造の祖神、天穂日命の御子であります。天照皇大神の勅を奉じて建御雷神等と共に稲佐の浜に降りて国譲りの神勅を大国主神に伝え給うた時に大国主神の御子、事代主神は猟漁に美保関に出掛けられていたので稲背脛命が使いにされて事代主命を呼び還し国譲りについての諾否を問給い、国譲りが武力によらずして平和裡に解決されました。この事は稲背脛命等の奔走の賜でありましてその御功績は偉大であります。又父神天穂日命の後を受けて大国主神の祭祀に仕えられました。

これとそっくりで、出雲と豊岡市竹野の鷹野神社も祭神は違えども、

天津神=稲背脛命(イナセハギ・天孫系)
国津神=西刀宿袮命(セトノスクネ・国造系)

と同じく西刀神社と主祭神が入れ替わって配祀さてれいる。

『国司文書 但馬神社系譜伝』には、
田結郷 西刀神社 城崎郡瀬戸丘鎮座
祭神  西刀宿禰命(またの名 阿刀宿禰命)
瀬戸浚渫の御鍬を相殿に納む。
人皇二十二代雄略天皇の二年秋八月、桃嶋宿禰これを祀り、瀬戸の浚渫を永遠に伝う。

右文化七年十一月六日
右近衛大将二條愛徳(なるのり)卿より、これを拝受す。
豊岡石塚五兵衛孫 森与一義高(花押)

よって、いつの頃からか、城崎郡司 西刀宿禰命よりも、漁や航海を祈る神、稲背脛命を勧請し、そちらが主祭神になっていったとも考えられる。

西刀宿禰命
『国司文書 但馬神社系譜伝』では、
別名を阿刀宿禰命というごとく、この命は、「姓氏録」(第十五巻 山城国神別・天神)に、「阿刀宿禰。石上朝臣と同じき祖、饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫、味饒田命の後なり」とあるから、饒速日命の後裔だ。

饒速日命は、物部氏の祖 宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)の祖父(または父)。味饒田命は、宇摩志麻遅命だろう。『日本書紀』では「可美真手命(うましまでのみこと)」と『古事記』では「宇摩志麻遅命」、『先代旧事本紀』では「味間見命(うましまみのみこと)」と表記する。

西刀宿禰命系譜

饒速日命────天火明命─┬─宇摩志麻遅命

└──天香山命………(4代省略)
……武田背命────武身主命────────┐
(深坂神社祭神)        │
┌──────────────────────────┘

└────大海部彦命───西刀宿祢命────桃嶋宿祢
(海部直命)海神社下座  (西刀神社相殿祭神) (桃嶋神社祭神)

境内・社叢


社頭掲示板 御由緒

  
鳥居・狛犬                     御神門

  
社殿(覆屋)                    相殿社

地名・地誌

田結郷・瀬戸(たゆふ・たい)
『国司文書 但馬郷名記抄』
伎多由郷(今は田結郷)
田結連この地に住む。故にまた田結郷と名づく。海童(ワタツミ)神の後なり。
伎多由郷は[魚昔](一文字)貢進の地なり。この故に名づく。小魚[魚昔]の地。[魚昔]は古語にて伎多由(キタユ)または伎多伊(キタイ)なり。

『校捕但馬考』の田結郷に、
太田文曰く、気比庄…気比 田結 湯嶋 桃島 小島 瀬戸 津居山
右気比庄と云う。
(省略)
国人伝え云う。上古このあたり皆湖なり。出石の神の新羅より来たり瀬戸を開きたまいてより、湖水北海に注いで、庶民安息せりと。

瀬戸
狭い海峡のこと。古くは西刀と書く。

地 図

交通アクセス・周辺情報

日和山

参 考

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