式内 那波加神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 那波加神社
読み なはかじんじゃ
江戸時代は「田所神社」「五社大明神」

式内社 近江国滋賀郡 那波加神社

所在地 滋賀県大津市苗鹿1-8-1
御祭神 天太玉命あめのふとだまのみこと
『神名帳考証』天太玉命、大香山戸臣神
宇賀御玉命 『明治神社誌料』
御神門 
苗を背負鹿 又は三ツ巴
例祭日 
5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
滋賀郡 8座 大3座 小 5座

近代社格制度 旧県社
創建   伝:天智天皇7年(668)
本殿様式 一間社流造

境内摂末社(祭神)

龍神社 夷社 宇賀社 大将軍社 幸神社 (境外) 那波加荒魂神社 (上の宮) 愛宕社 大炊社 須古社

文化財

欅(大津市天然記念物)

一口メモ

雄琴温泉の南、国道161号線と161号バイパスの間にある。

歴史・由緒等

祭神 天太玉命大古より此地に鎮座し給う、天智天皇7年営社於知別命を配祀す。於知別命は崇神天皇の皇子小槻・・・なり。
平城天皇大同2年3月斎部宿根広成天太玉命の荒魂社を創立し本社の別宮とす。爾後本社を下の宮荒魂社を上の宮と称し
清和天皇貞観5年勘解由次官小槻□□今雄勅を奉・・領地の内若干を神領に附す。次で別当法光寺を創建す。
醍醐天皇延喜の制に名神に列せられ天太玉命一座延喜式所載滋賀郡八座の一なり。
後醍醐天皇延享2年綾小路二品親王并に法光寺々務後見定俊僧都の為め社領及寺領を押領せられ・に依り在大史小槻寄柄千宣上奏せし、同年6月14日勅使春宮大・藤原朝臣を以て其押領を停止せられ・・長者、氏の長者は小槻氏なり、永代・・すべき御・下れり。
同御・建武2年正月28日勅使庭田内蔵・重資朝臣を以て天下泰平祈願の奉幣あり。
正親町天皇永禄4年延暦寺僧徒の暴・の為めに社領及び寺領を押領せられ次で元亀2年・・・の為・社殿及建物等を焼失す。
後陽成天皇慶長12年以降氏子信徒等協力し社頭を修補し春秋古式の祭典を再興し、神殿を寄付して維持せしより・事を典することなり。
明治9年10月村社に制定せらる。
明治28年1月郷社に加列せらる。
明治35年5月30日県社に昇格せらる。

「社頭掲示板」

社伝によると、祭神天太玉命は太古より此の地に降臨し給うた。天智天皇七年に営社、於知別命を配祀する。於知別命は垂仁天皇の皇子小槻氏の始祖である。平城天皇大同二年に斎部宿禰広成が祭神の荒魂社を創建し別宮とした。これが飛地境内社那波加荒魂社即ち上の宮である。 延喜の制、延喜式内滋賀郡八座の一である。建武二年勅使奉幣の儀があり、元亀二年兵燹の為焼失、慶弔十二年再興された。 明治三十五年県社に昇格す。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  
社号標                      鳥居・拝殿

  
鳥居扁額 青が美しい               手水舎

  
本殿中門                     本殿

  
本殿左手                     本殿右手


境内右手にしめ縄があって4柱の境内社らしい

地名・地誌

地 図

滋賀県大津市苗鹿1丁目8-1

交通アクセス・周辺情報

参 考

Follow me!


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA