式内 馬路石邊神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 馬路石邊神社
読 み うまじいそべじんじゃ
式内社 近江国野洲郡 馬路石邊神社
別 名
江戸時代は「田中大明神」
所在地 滋賀県守山市吉身4-4-1
御祭神 建速須佐之男命 大己貴命
御神紋 木瓜
例祭日 5月4日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
野洲郡 9座  大2座  小7座

近代社格制度 旧郷社

創建   白鳳3年(663)
本殿様式 三間社流造

境内摂末社(祭神)

事代主神社 住吉神社 神明神社 八幡神社 山王神社 稲荷神社

文化財

御本殿(国宝) 楼門・拝殿・若宮神社(摂社)(重要文化財) 三宮神社(摂社) (県文化財) 木造狛犬1対(重文) 木造相撲人形1組(県文) 木造神馬附馬丁(県文) 絹本著色両界曼荼羅2幅(県文) 御上神社文書(県文) 鳳輦神輿3基 ずいき祭(重要無形民俗文化財)

一口メモ

野洲川の左岸、県道11号線から狭い道を入る。茅葺きの趣有る神門(楼門)。数年前、すぐ近くのホテルに一泊したことがある。

歴史・由緒等

社伝によれば、創祀は白鳳三年 建速須佐之男命を奉斎し、朱鳥元年、大己貴命を合祀したことに始まると云う。社名の馬路は、平城京跡出土木簡『益珠郡馬道郷石邊玉足』森ノ内遺跡出土木簡『馬道首』に見える地名、和名抄「按馬路駅家ハ郷名也」にみえる古郷であり、石邊とは馬道郷の土豪 石邊君氏の姓で、馬道(路)郷の石邊君の氏の社である。延喜式神名帳記載の式内社で、中世には江州田中荘(吉身・守山・播磨田・金森市三宅)の総鎮守 田中大明神、田中天王社と崇められた。その森は天王の森と呼ばれ、広大な原生林に覆われ、近江輿地志略 田中大明神社の頃には「吉身村ニアリ村ノ北街道ノ傍林ノ中ニアリ其森ヲ天王ノ森ト云、大己貴命正一位田中大明神ト號ス。祭禮毎年四月二ノ戌ノ日、土俗云、白犬ヲ神使トス」と記されている。弘仁年間、嵯峨天皇の病気平癒祈願の為、氏子が水垢離をし平癒祈願の功により、神領と饗の御膳が寄進された。又この時、山野井の姓と竹輪に九枚笹の御紋が下賜され、正月には饗の神事が氏子宅により今も続けられている。弘治二年、六角氏により楼門が再建され、祭礼に奉行を派出し篤い崇敬を受けた。
祭礼行列書なる古書に○神馬○三種ノ神器○旗付鉾吹流シ○神輿三基○カネと踊り 笛太鼓 カネ音戸取 ○神官騎馬○禰宜○領主供奉行行列○村ノ士分麻上下帯刀と当時の祭礼模様がしるされている。元亀・天正の野洲川を戦場とする争乱によって、社殿に隣接し白鳳時代に建立された益須寺と共に社殿、神宝、古記類を焼失。江戸時代に社殿が再興されたが、天明四年に再び火災に遭い、現社殿は文久二年に再建、社頭整備も逐次進められ明治九年には村社に、明治十四年には郷社に列した。祭礼には神輿の渡御と共に、天下泰平・五穀豊穣を祈る古式踊(豊年踊)が奉納される。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  
鳥居                        楼門


社頭掲示板

  
扁額「石邊神社」                  手水舎

  
拝殿                       本殿・中門

   
狛犬

  
境内社稲荷神社                  山王神社、八幡神社

  
事代主神社                    住吉神社、神明神社

  
愛宕神社

地名・地誌

地 図

滋賀県野洲市三上838

交通アクセス・周辺情報

参 考

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