式内 高座神社(谷川)
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概 要
社号 式内社 丹波国氷上郡 高座神社
読み: 古 タカクラノ 現 たかくら
所在地 兵庫県丹波市山南町谷川3557
旧地名 丹波国氷上郡
御祭神
主祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)
配祀神 経津主命(フツヌシノミコト) 建御雷命(タケミカツチノミコト) 比売命(ヒメノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 保食命(ウケモチノミコト) 菅原道真命(スガワラノミチザネノミコト) 品陀別命(ホンダワケノミコト) 事代主命(コトシロヌシノミコト) 大国主命(オホクニヌシノミコト) 大雀命(オホサザキノミコト)
例祭日 10月9日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗。)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 元慶3年(879)
本殿様式 本殿流造檜皮葺
境内摂社(祭神)
文化財
五間社流造 正面双千鳥破風付
向拝一間入母屋造正面軒唐破風付桧皮葺
県指定重要文化財
一口メモ
福知山線と加古川線の起点であるJR谷川駅から南東に50m進む。斜め右に折れて、県道77号線 に400 m向かう。
右折して県道77号線に入る。100 mで斜め左に折れる。
700 m左折する。500 mで斜めに右折すると350 m道路左。
歴史・由緒等
宝永2年(1705年)に再建された建物で、正面に唐破風造りの向拝をつけ、蛙股も美しい桧皮葺きの本殿があります。
また石鳥居は、元禄6年(1693年)に建てられた神明鳥居です。
境内に「フジキ」という木が立っており、県下第一の巨木であり兵庫県天然記念物に指定されています。
-「丹波市観光協会」-
由 緒
丹波国造の創立。祖神高倉下命他四柱を配祀する。後に領主久下彌三郎源時重祈願により社殿改築。
弘治3年(1557)、久下政光造営する。
その後、今の地に遷座し、寛永3年(1626)、氏子により再建。
領主崇敬篤く、多くの寄進あり。
明治6年(1873)、村社に列せられる。
明治44年(1911)、八神社を合祀す。-「兵庫県神社庁」-
由緒
創立年代は不詳(式内社)当社祭神は丹波国造家の祖神、丹波の守護神として奉祭されたと伝えられている。
当社は古来田久下田久下両村の総氏神として年々の祭事に継承され現在に至った。中世には当郷地頭久下氏の所領として当町金屋に鎮座していたが後年この地に遷座された。この時旧社地より移植した松の一本が参道の大松で「お供の松」といわれている。
徳川時代には谷川領主織田家の崇敬厚く社領の寄進を受けている。
高座神社本殿
建造物 (県指定) S1.3.23
高座神社本殿 Ⅰ棟(付 棟札一枚)
所在地 山南町谷川3557
所有者 高座神社
管理者 高座神社
五間社流造・向拝一間唐破風造・桧皮葺
高座神社は丹波国造の創設であって、その祖神高倉下命及び祖神に関係深い四柱の神を合祀し、もと村内金屋にあったのを、後年今の地に移したと伝えている。現社殿は宝永2年(1705)の建立である。(棟札)
身舎正面桁行五間・梁間二間・庇一間の流造で、一間の唐破風造の向拝を付け、背面は柱間六間、屋根正面に双千鳥破風をおくという特異な形式を持っている。周囲三方に擬宝珠柱付縁高欄をめぐらし、浜床を付属する。
斗拱は和様三手先(正面中央間は詰組形式)中備蟇股付、背面を除く斗拱部尾垂木は龍頭に造る。
手挟・蟇股、板支輪の彫刻や妻組の構成に17世紀に盛行した手法が駆使されている。大工の棟梁は地元谷川の清水武左右衛門で18世紀初頭の神社建築として県下において他に例のない貴重な遺構である。
高座神社論社
高座神社
兵庫県丹波市山南町谷川3557
高座神社
兵庫県丹波市青垣町東芦田2283
同じ丹波国福知山市や丹波市にも綾部市にも高座神社、高蔵神社が数社ある。この場合のタカクラは、天皇や将軍が、謁見などのときにすわる座席。たかみくら。神の座ますところ。綾部市西坂町にも式内高藏神社がある。藏と倉は同じく、高倉とは、建物の床を高くし、柱で支える構造の倉のこと。字に意味が含まれるとすれば、高倉があった場所か。
境内・社叢
鳥居跡 鳥居
社号標 手水舎
割拝殿 奥行きのある参道
中の鳥居・拝殿
狛犬
拝殿
本殿
フジキ 県下第一の巨木 兵庫県天然記念物
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