式内  櫟谷宗像神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社 山城国 葛野郡 櫟谷神社
読み: 古 イチイタニ、現 いちたにむなかた
所在地   京都市西京区嵐山中尾下町60
旧地名 山城国葛野郡松尾村
例祭日 1月3日
御祭神 奧津嶋姫命(おきつしまひめ のみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめ のみこと)

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
葛野郡(カトノ) 20座(大14座・小6座)
式内社

近代社格制度

松尾七社の一つ

創建     年代不詳
本殿様式   流造 銅板葺

境内摂社(祭神)

一口メモ

旅館の立ち並ぶ渡月橋の西詰から川上へ少し入った山裾で、嵐山観光の遊覧船着場がすぐ前にある。

大勢の観光客でとてもマイカーで参拝するなど無謀である。前々から参拝しにくい場所にあり残っていた。日の出間もない平日、名神大月読神社の次ぎに参拝。嘘のように静寂だった。京都市内観光は、バス・地下鉄公共交通機関の一日乗車券を利用するか、観光タクシーが便利だしあまり歓迎されないが、拙者は式内神社探索が目的なのでお許し願いたい。

歴史・由緒等

水の神・舟の神

嵐山・桂川の南岸、渡月橋のそばにある。祭神は櫟谷神(奥津島姫命)であるが、現在は宗像神(市杵島姫命)を併祀しており、二柱を祀る社殿には扉が二つ。
両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたものと思われ、松尾七社の一座に入るものであるが、松尾神社の末社となつた時期は不明。明治10年には松尾大社の摂社となった。
この場所は大堰川の流れが激しい荒瀬から緩やかなトロ場に変わる流勢変化の接点である。水の神・舟の神の坐す聖所として観想されるには、もつともふさわしい場所とおもわれる。
明治期までは祭神が現在と反対であった。
境内から桂川が一望できる。

「延喜式神社の調査」さん

ご由緒
当社は世人古くから俗に嵐山弁天社と称し、奈良時代大宝年間から鎮座されている名社である。平安時代、葛野に鋳銭所(今の造幣局)がり、新しい鋳銭は必ず当社に奉納せられたという。
尓来、来福徳財宝の神として人々の尊崇が厚い。また河海の女神であるところから火難の守護神ともされている。古来、風光明媚の名勝嵐山に訪れる人は必ず詣でた神社である。
大井川しぐるゝ秋の櫟谷 山や嵐の色をかすらむ   藤原為家

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
社号標                      鳥居


社頭掲示板

  
手水舎                      拝殿

  
本殿(左・宗像神社 右・櫟谷神社)

地名・地誌

櫟谷(いちだに)

江戸初期頃までの地名であったといわれる。すぐ西側の小川の流れる急傾斜の谷に由来するといわれている。

葛野大堰(かどのおおい)
渡月橋のやや上流に見える堰で、今、「一ノ井堰」と称している。葛野は、右京区中心部。かつては山城国葛野郡であった。

地 図

京都市西京区嵐山中尾下町60

交通アクセス・周辺情報

大堰川舟遊・岩田山モンキーパーク

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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