式内大 天高市神社
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概 要
社 号 天高市神社
式内社 大和国高市郡 天高市神社 (大 月次新嘗)
読 み:古 アメタケチノ、現 あめのたけち
中世から江戸期かけては「八幡社」
所在地 奈良県橿原市曽我町字宮久保659
旧地名 大和国高市郡
御祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと)
配祀 品陀別命、息長帶姫命、比賣神
祭礼 9月15日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
高市郡(タケチ):54座(大33座・小21座)
式内社(大 月次新嘗)
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式 流造桧皮葺
境内摂末社(祭神)
高良神社 祭神:玉垂神(たまたれのかみ)
菅原神社 祭神:菅原道真公 (すがわらみちざねこう)
八坂神社 祭神:素盞鳴命 (すさのおのみこと)
秋葉神社 祭神:軻遇突神 (かぐつちのかみ)
稲荷神社 祭神:
一口メモ
近鉄大阪線・真菅駅の南1Kmほどの曽我町に鎮座。バイパスの西側に神社の御神燈を発見したが、年配のご婦人に尋ねると高市神社は2つあるが、どっちの神社か尋ねられた。探している天高市神社はバイパスの向こう側にあるが、参道を遮ってしまい行き方がややこしかった。
歴史・由緒等
「延喜式神社の調査」さんからによると、
由緒沿革
本神社の由緒沿革については、詳かではないが、『三代実録』によれば、第56代清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月27日に、大和国天高市神に従五位上の神階を授け奉る(「奉授大和国天高市神從五位上」)との記事がある。又、延喜の制により名神大社に列せられ、月次・新嘗の官幣に預っており、古くより朝野の信仰も篤く格式の高い神社であった。
しかし星霜うつり、中世から江戸期の頃に至って本神社は、八幡社と称したもののようである。現在の境内に、安永6年(1777年)当村中より奉納の石燈篭に八幡宮と銘したものが二基ある。
明治40年9月告示により指定村社となる。
祭神は、事代主命(えびす様)一柱を祭祀してきたが、後世になり品陀別命(応神天皇)・息長帯姫(神功皇后)・比売神の八幡三柱を合祀して四柱とし、尊崇してきたもののようである。
なお、本神社の境内地は、古くは一町歩余と伝えられるが、明治初年には、一千余坪で第一種官有地となった。さらに、終戦後、宗教法人法の制定により上記官有地は昭和25年6月に宗教法人天高市神社に対し無償譲与となり現在に至る。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
境内・社叢
鳥居 社号標
手水舎 拝殿
狛犬
拝殿扁額 拝殿内
本殿 高い垣に囲まれてかろうじて見える位置から腕を伸ばし撮影
境内社
祓戸社 参考資料の境内社にはないが三年社務所落成記念とある。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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