式内大 畝火山口坐神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

 

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概 要

社号 畝火山口坐神社
式内社 大和国高市郡 畝火山口坐神社(大 月次/新嘗)
読み:古 ウネヒノヤマクチ-、現 うねびやまぐちじんじゃ、おむねやまじんじゃ*1
江戸時代には「畝火明神」とも「畝火山神功社」とも。俗に「お峯山」と呼ばれる。
所在地 奈良県橿原市大谷町248-5
旧地名 大和国高市郡久米郷
御祭神 気長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后) 豊受比売命(とようけびめ のみこと=豊受大神) 表筒男命(うわつつのお のみこと)
祭礼 4月16日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
高市郡(タケチ):54座(大33座・小21座)
式内大社(大 月次/新嘗)
祈雨神祭八十五座の一つ
山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳成)の一つ

近代社格制度  旧県社

創建      不詳
本殿様式    流造り朱塗

境内摂末社(祭神)

合祀社二棟 三連流造りで、東側から大山祇命神社・埴安彦命神社・春日神社。次の三連流造りには八幡神社・巌島神社・高良神社

祓戸大神、他不明社

一口メモ

奈良県橿原市の畝傍山西麓にある神社で大和国内の山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無)のうちの1社。南側に橿原神宮がある。神武天皇陵、橿原神宮のある畝傍山の西側。大和国式内社には ◯◯山口坐神社が多い。とくに「山口社六社」の場合、令制時代の国家祭祀である祈年祭において祈願の対象とされた山口坐皇神(やまのくちにますすめがみ)を祀る神社をさす。
飛鳥山口神社(大和国高市郡)・石寸山口神社(同国十市郡)・畝火山口神社(同国高市郡)・忍坂山口神社(同国城上郡)・長谷山口神社(同国同上)・耳成山口神社(同国十市郡)
境内は広く、社殿も立派である。

歴史・由緒等

御由緒

創始は明らかではないが、新抄格勅符抄によれば平城天皇大同元年(806年)神封一戸を寄せられたことが載っていることからして、大同以前の創建であろうと思われる。降って清和天皇貞観元年正月(859年)正五位下を授かり、延喜の制では名神大社として祈年、月次、新嘗の案上官幣及び祈雨の幣に預かった。
畝火山は元帝室の御料林を守るためにその山麓において山神の霊を祀った。これが当社の起源であるが、神功皇后を祀ったともいえる。
始めは畝火山の山腹にあったが、後に山頂に遷祀し、更に昭和15年12月、現在の位置に遷座し、郷社より県社になった。
現在の御社殿は昭和15年に御造営され、昭和44年に御屋根の葺替を行なった。

御神徳
畝火山口神社は、神名帳に「畝火山口坐神社」とあり「畝火明神」又は「神功社」と称し応神天皇御降誕の伝えがあり、安産の守神として他府県よりの祈願者も日に日に増している。めでたく安産の後、当神社で命名を受けると必らず無病息災に過す事ができる。又一方、海運の神とも知られ、交通安全祈願者も増している。

特殊神事
埴取神事
大阪の住吉大社では、毎年祈年祭(2月)、新嘗祭(11月)に用いる土器を作るための埴土を畝火山頂で採取する。(行事には宮司又は権宮司が正使となり随員二名、社僕一名と同行で雲梯町河俣神社で修祓を行い直ちに当神社に来たり祝詞奏上を終りて、当神社宮司と共に山上に赴く。)
神水取神事
毎年7月26日早朝、宮司は吉野郡大淀町土田領である吉野川沿岸の周囲二丈余りの大きな櫟の所で修祓を行ない、それより清流に臨んで神水を汲み取り、これを持ち帰って神前にお供えする。俗にお峯山の水取りと称す。
餅まき神事
4月16日の春祭に行なわれる。

「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年『神社公式サイト』より-

境内・社叢

  
鳥居                   社号標

  
手水舎                  拝殿


社頭掲示板

   
狛犬

  
拝殿                   拝殿内から本殿

  
本殿


本殿両脇に神庫・宝物庫が建つ

境内左手
合祀舎(右側) 三連流造
右側から大山祇命神社・埴安彦命神社・春日神社。
合祀舎(左側) 右側から八幡神社・巌島神社・高良神社

  

  
境内右手境内社 祓戸大神


子授石

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

*1  神社の案内板では「畝火山口」に「おむねやま」のルビが振られている。


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