式内大 宇太水分神社(下宮)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

現社号 宇太水分神社(下宮)
読み:うだのみくまりじんじゃ しもみや
「下の水分宮」
延喜式神名帳 式内社 大和国宇陀郡 宇太水分神社 (大 月次新嘗)
読み:ウタノミコマリ
所在地 奈良県宇陀市榛原下井足字水分山635
旧地名 大和国宇陀郡榛原郷
御祭神 天水分神 国水分神 天児屋根命 品陀別命(応神天皇)
例祭日 10月21日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
宇陀郡(ウタ):17座(大1座・小16座)
式内大社

近代社格制度 旧県社

創建     不詳
本殿様式   神明造 桧皮葺

境内摂末社(祭神)

石神神社・稲荷神社・金刀比羅神社

一口メモ

談山神社から八咫烏神社を経て、宇陀水分神社 下宮へ着くと、もう夕刻で日没まであとわずかとなった。宇陀の回りたい神社はすべては無理になってきた。宇陀市中心部の県道31号線沿いにある。吉野の丹生川上神社同様に古市場には上社で、こちらは下社。さらに上流の上芳野には惣社水分神社がある。

歴史・由緒等

奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。
当神社の創祀は、太古の国史「三代実録」(奈良時代-平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年」(859年)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、その由来は実に古く。水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る。
延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされていたが、応保年間(1160年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。
明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建物はすべて古い形式で(春日造)であったが、明治11年、神社形式令により県社の指定を受け現在の神明造りになっている。

「社頭掲示板」

宇太水分神社略記

大和国宇陀郡榛原町大字下井足水分山鎮座の当宇太水分神社はその創祀の年代は詳かにし難いが、所伝によれば崇神天皇15年9月21日勅祭云々とされていて、御祭神は天之水分神、国之水分神、天児屋根命、品陀和気命の4柱で「延喜式神名帳」によれば、宇陀郡17座(大1座、小16座)の中、月次、新嘗の中祀に預る大社で、特に祈雨神85座に列せられて当時の官幣社と云う可く、この鎮座地を船形山と称し、大和国鎮座の水分4座、即ち、都祁、葛木、吉野と並び宇太水分神社の4社である。又「三代貫禄」によれば貞観元年正月27日、正五位下の神階を授けられ、雨乞いの神として篤く崇敬された神社で、明治の初年頃までは本殿を始め附属の建物はすべて古い形式を備えていたと記されています。

「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
「延喜式神社の調査」さん

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場(旧菟田野町域)にある神社。芳野(上社)・古市場(中社)、下井足(下社)の3社がある。

境内・社叢

  
一の鳥居                 二の鳥居 長く続く静寂な参道

  
手水舎                  境内

  
拝殿                   本殿

  
境内社

地名・地誌

地 図

奈良県宇陀市榛原下井足字水分山635

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、「大和路アーカイブ 奈良県観光情報」他

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