惣社(式内 物部神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 惣社
読み:そうしゃ
伊川谷惣社、惣社神社とも呼ばれる。
延喜式神名帳 式内社 播磨国明石郡 物部神社
読み:
所在地 神戸市西区伊川谷町上脇1005
旧地名 播磨国明石郡
御祭神
主祭神 大己貴尊(オオナムチノミコト)
配祀神 経津主尊(フツヌシノミコト) 武甕槌神(タケミカツチノカミ) 素盞嗚尊(スサノオノミコト)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
明石郡(アカシ) 9座(大3座・小6座)

近代社格制度  旧郷社

創建   延久3年(1071年)に再建と伝
延文3年(1358)太山寺密教院定喜法印によつて勧請とも伝
本殿様式

境内摂末社(祭神)

本殿左 山神社、歳徳社、稲荷社
本殿右 稲荷社、八幡社、荒神社、猿田彦社

一口メモ

第二神明道路伊川谷JCTそばをくぐるとまっすぐ山手に参道が延びている。町なかなのに珍しく信号がないので、帰り右折は怖いが通行量はそんなに多くない。前回日没となって撮影し直しに明石からもう一度寄った。

式内 物部神社 比定社

可美真手命神社 可美眞手命 神戸市西区押部谷町細田132
〃 惣社  大己貴尊 素盞嗚尊 経津主尊 武甕槌尊 神戸市西区伊川谷町上脇1005

歴史・由緒等

由 緒
神功皇后が、朝鮮遠征の帰途、明石川から伊川を船でのぼり、ここで一休みして、「大国主命をここに祀れ」と命じたのが、この惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1071)9月再建し、太山寺密教院の定喜法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは、再建の時のことをいうのであろうと思われる。

また、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所載の明石郡九座の一つ惣部明神を、当社にあてている。5世紀後半には大和王朝が確立し、明石の囲も国造によって治められる事になり、6世紀には、大和王朝の物部系の郡司により、郡中の神社の神々を集めて祀ったことから、13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。

また、江戸時代、明石城主の崇敬篤く、三石の黒印領を寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から四世紀のものと推定され、早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。

現在の本殿は、宝暦11年(1761)に、旧社殿の古材を用いて造営されたものである。
-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢


鳥居


境内掲示板

  
手水舎                  拝殿

  
国旗が掲揚されている神社は有人神社でも意外と少ない   拝殿扁額

  
狛犬

  
本殿


本殿左 山神社、歳徳社、稲荷社

  
本殿右 稲荷社、八幡社、荒神社、猿田彦社

地名・地誌

地 図

神戸市西区伊川谷町上脇1005

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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