支布佐神社(式内 天穗日命神社)
Contents
概 要
社号 式内社 出雲国能義郡 天穂日命神社
『出雲国風土記』「支布佐社」
読み:古 アマノホヒ、現 きふさ
所在地 島根県安来市吉佐町365
旧地名 出雲国能義郡
御祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
例祭日10月9日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
能義郡[ノキ]:1座小
近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式 大鳥造銅板葺
境内摂末社(祭神)
琴平神社、稲荷神社、国津神社、客神社他
一口メモ
鳥取県との県境に位置する安来市吉佐町の小丘東麓に鎮座。当方から出雲国式内社の最も近いところにあるのに、前回訪れていなかったのでまずここからスタートする。まだ暗いうちに山陰道を走り、7時前に安来市に入る。ようやく明けてきた。国道9号線を南へ入って吉佐町の奥の山すそ。
歴史・由緒等
天穂日命は出雲氏の祖。天照大神と素盞鳴尊の子の1柱。延喜式神名帳では、天穗日命神社比定社は他に能義神社(古名:野城神社)があるが、能義神社は意宇郡で、能義郡の式内社はこの天穗日命神社(今の支布佐神社)のみである。何か郡と式内社の分立した訳がありそうな複雑さである。
「神社探訪」さんによると、
由緒:この社の創建時期は不明ですが、『出雲国風土記』記載の「天穂日命神社」比定社となっています。「天穂日命神社」比定社には他に、天穂日命を祖とする出雲国造の代替わりに参拝・奉幣があったといわれる「能義神社」がありますが、正徳年間(1711~1716)と明治初期の2回にわたり論社争いがあり、この社・吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)に軍配が上がっているようです。境内の国津神社は天穂日命の随神である天津子命を祀っています。
式内社 天穂日命神社は、因幡国造の氏神である天穂日命神社 鳥取県鳥取市福井や、京都市伏見区石田森西、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)、式外社では芦屋神社(兵庫県芦屋市東芦屋町)、など全国で祀られている。
境内・社叢
鳥居 手水鉢
石段と拝殿
狛犬
拝殿
本殿
境内社
地名・地誌
能義郡(のぎぐん)
出雲国・島根県にあった郡。面積300.19 km²。(2003年)成立当初の郡域は現在の安来市の市域に一致する。2004年10月1日、安来市と広瀬町・伯太町の2町が新設合併し、新・安来市となり、すべての町がなくなった能義郡は廃止となった。
歴史
意宇(おう)郡は、天平5年(733年)2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には11の郷の内に33の里があり、別に1つの餘戸里、3つの駅家と3つの神戸があったと記されている。
現在の安来市伯太町安田山形、吉佐町、門生町辺りは屋代郷。
平安時代以前は意宇郡の一角に区分されていた。
名前については、この地に設けられた野城駅(のぎのうまや)に由来すると言われる(『出雲国風土記』)。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」、「神社探訪」さん
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