村社 三柱神社(兵庫県豊岡市但東町畑)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 三柱神社
読み みはしらじんじゃ
別 名
江戸時代は三宝荒神、また八大荒神
所在地 兵庫県豊岡市但東町畑594

旧地名 出石郡埴野郷埴田?
御祭神 主祭神 倉稲魂神ウカノミタマノカミ
配祀神 保食神ウケモチノカミ 稚皇産霊神ワクムスミノカミ
御神紋
例祭日 10月8日 8月末 八朔祭り 地区の人々総出で祭儀を行ない、終了後直会をする。

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

五柱神社というのかわからないが、五柱、稲荷神社

一口メモ

国道426号線から出石川を渡り、旧但東町の西端、水石区の奥に畑区がある。

歴史・由緒等

創立年月不詳

江戸時代三宝荒神と仰ぎ又、八大荒神ともいい藩主仙石氏の崇敬社にして毎年9月28日の例祭には献米5升あり又、参勤交替の途上藩主自ら参拝せり。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇21代雄略天皇2年秋8月 磯部臣命の子、埴野命を以て、出石郡司と為す。埴野命は磯部臣命を出石丘に祀る。(式内 石部神社)
17年春3月朔 天皇土師連等に勅して、朝夕の御膳を盛るべき清器を進ぜしめ給う。
これにおいて、土師達の祖、吾笥は、すなわち
摂津国来狭々村、山背国内村・俯見村(いまは伏見)、伊勢国藤形村および丹波・但馬・因幡の私民部を進め、贄土師部と云う。
丹波国天田郡土師村(いまの福知山市)・因幡国智頭郡土師村、但馬国出石郡埴野村・養父郡土田村・気多郡陶谷村(いまの豊岡市日高町奈佐路)・美含郡阿故谷村、これなり。
美含郡陶居村は、この郡埴野村埴田の陶人が移住して、陶器・土師を作る所。その子孫埴生に帰り、その業を営む*1。

この郡の贄埴師が居るところを挺師村という。(のち矢根)
埴田の陶人が居るところを埴田山と云う。
清器を作るところを御出石村(いまの水石)と云う。鋺師・陶人は此の所に居る。
贄埴師部は野見宿禰命を挺師村に祀り、
埴田陶人は阿笥命を埴田山に祀り、
碗師陶人はその祖、高麗国人宝輪王を弖良坂山に祀る。
賀茂神社・埴田神社・鋺師神社はこれなり。

『国司文書別記 但馬故事記名記抄』第五巻・出石郡故事記

*1 第一巻気多郡故事記には、「18年春4月 気多郡陶谷村の人、陶谷甕主、出雲国阿故谷の人、阿故氏人、小碗氏人等美含郡に入り、阿古谷・陶谷・埴生・小碗において、陶器・清器の類を作り、部落を為す。」

『但馬郷名記抄』でいまの地名として不明なのが埴部・埴師部だ。加茂土師部神社が賀茂神社の矢根であると思われるので、「埴田陶人は阿笥命を埴田山に祀り、」は埴部ではないか。埴田が畑となった可能性が高い。(地名・地誌参照)

境内・社叢

  
鳥居                          歌舞伎台

  
境内                          拝殿・本殿

拝殿の明かりは境内に入るまでに点灯していた。よくあるセンサーではなく、日中は常時点灯しているようだ。

  
五柱神社というのかわからないが、五柱(大山祗命・天照皇大神・春日大神・高津命・もう一神)      稲荷神社

地名・地誌

『国司文書・但馬郷名記抄』には、

出石郡埴野郷

埴野郷は贄土師部在住の地なり。この故に名づく。
日野辺・桐野・御出石・埴部・埴師部・出合

埴野郷ハニノゴウ
『太田文』曰く出石郡土野ハニノ庄*1
村数
上野・日野辺・桐野・寺坂・水石ミズシ・畑
右土野庄と云う。これより東を、すべて山ノ中と称す。
市場・南尾ミノオ・出合・日殿・矢根・奥矢根
出合デアイ郷と云う。

地 図

兵庫県豊岡市但東町畑594

交通アクセス・周辺情報

参 考

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