村社 三柱神社(豊岡市日高町栗栖野)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 三柱神社
読み:みはしら
江戸時代末期は三宝荒神
所在地 兵庫県豊岡市日高町栗栖野184
旧地名 但馬国気多郡太多郷
御祭神
主祭神 奥津彦命(オキツヒコノミコト)
配祀神 奥津姫命(オキツヒメノミコト) 火結命(ホムスビノミコト)
※古字は澳津彦命(オウツヒコ-)
例祭日 9月28日

社格等

式外社
近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   柿葺春日造

境内摂末社(祭神)

住吉神社 古社地:日高町神鍋字西山741
祭神:三筒男命(創立年月不詳。明治2年9月久美浜県へ届出。境内11坪。昭和56年9月、公共事業に伴い、三柱神社境内に移転遷座、元は神鍋字西ノ宮に鎮座していた。)

稲荷神社 古社地:日高町神鍋字シワガノ61の1
祭神:稲倉魂命(創立年月不詳)

山の神
大山祗命(オオヤマツミノミコト)を祭祀し、山仕事の安全を祈る。

境外社
産土・八重垣神社/日高町神鍋字長者ヶ森851
祭神:速素盞鳴命(創立年月不詳。明治2年9月久美浜県へ届出。境内62坪)
この村のかつての主長の墳墓か、字長者ヶ森の中央にある塚の上に、祭神「素盞嗚命」を祀る。
出雲の国松江市佐草町の八重垣神社から分祀されたものかどうかは不明。
(詳細は八重垣神社

一口メモ

国道482号線を神鍋まで進み、道の駅神鍋高原の少し先で左に旧道を右へ。まっすぐ万場へ行く道で右折しても行けるが、奥神鍋(山田)へ向かう道から万場への広い道に大きく左へ曲がるとすぐ山側に石段が見える。広い駐車場がある裏手。

歴史・由緒等

由 緒
創立年月不詳

明治3年(1870)社殿を再興して遷宮を行い、同6年(1873)10月村社に列せらる。
-「兵庫県神社庁」-

創立年月不詳。古来より三宝荒神と称したが、明治3年社殿を再興して遷宮し、三柱神社に改称した。明治6年村社となる。
境内社/愛宕神社・稲荷神社・その他

『栗栖野村誌』
記録は不詳なるも、伝承によればその昔、和多田吉兵衛、室町時代後期に一族郎党を引き連れてこの地を安住の地と定めて居を構え、守護神として氏神を建立し、日々祭祀していたところ、村人も崇拝して参詣するところとなる。

祭神
澳津彦命 (記紀)による大年神(稲の熟するまでの期間の義で農耕神)の第一子。
澳津姫命 大年神の第二子。
この二柱の神は一対神または二柱を一神とする竈(カマド)の神。
澳津は地名または遠い所の空間の意味(沖)とも言われている。
火結命(火産とも) 別名迦具土神とも言い火神。
澳津彦命・姫命は古来竈の神として祀られていたが、中世以降、荒神信仰の流行と相まって仏法の三法荒神信仰の傾向が強く、明治二年以来再三官の黙検ありて確定、旧号三宝荒神と申するを、明治三年、三柱神社に改称し、久美浜県へ届け出、神仏分離により、六年豊岡県(久美浜県改め)より村社の社格を定められる。

『国司文書・但馬故事記』
人皇三七代孝徳天皇の大化三年(647)、多遅麻国気多郡高田邑において、兵庫を造り、郡国の甲冑・弓矢を収集し、以って軍団を置き、出石・気多・城崎・美含を管(つかさど)る。(中略)
鞘柄(さやつか)*1は栗栖氏これを調進し、
(中略)
栗栖氏は宇麻志麻遅命の末裔なり。
大化四年秋八月 矢作連その祖経津主命を矢作丘に祀る。栗栖連その祖宇麻志麻遅命を栗栖邑に祀る。矢作神社・栗栖神社是れなり。
(中略)
人皇四十代天武天皇の十三年冬十月十四日、地震(ナヰ)、気多郡火を噴き、人畜多く死し、止美神社(戸神社)・太多神社・矢作神社・栗栖神社等震災に被る。
人皇四十一代持統天皇三年閏八月、(中略)
兵主神を久刀村の兵庫の側に祀り(式内久斗寸兵主神社:豊岡市日高町久斗)、
高負神を高田丘に祀り(式内高負神社:〃 夏栗)、
大売布命を射楯丘に祀り(式内売布神社:〃 国分寺)、
軍団の守護神と為し、軍団守護の三神と称す。
また将軍田道公を崇敬し、神魂を止美丘に斎き祀り、これを戸神社と称す(名神大戸神社:同 十戸)。
且つまた楯石連小禰布に命じて、楯石連大禰布命を楯石丘に祀らせ(楯石神社:〃 袮布)、太多公をして、多他別命を多他丘に祀らしむ(〃 太田から栃本まで)。
その他矢作神社・栗栖神社等を旧に依り、これを復す。

以上、『国司文書別記 但馬郷名記抄』の太多郷に栗栖とあり、栗栖神社は当然、栗栖野区内にあっただろうから、当社がかつては栗栖神社で、のち三宝荒神と変わり、明治に神仏分離令により三柱神社と改められたのではないだろうか?!

[註]*1 鞘柄(さやつか)

鞘(さや)とは、刃物の身(ブレード)の部分を包む筒。柄は刀身を握る為の部分。

境内・社叢

  
参道                   鳥居

  
手水鉢                  参道

  
参道狛犬

   
拝殿狛犬

  
社殿覆屋                 本殿

  
右手境内社 住吉神社      右手手前境内社稲荷神社とあとは不明

地名・地誌

栗栖野(くりすの)
『国司文書別記 但馬郷名記抄』
栗栖

『国司文書別記 但馬郷名記抄』(975・平安時代)
太多郷
止美(トベ)・己呂訶伎(コロガキ)・漆垣・山守部・石作部・太多村・壬生部・稲葉・巨智部(コチ)・秦部・的部・錦部・栗栖・太刀宮・田口・羽知

太田文(1285・鎌倉時代)
太多郷
十戸・此垣・漆垣・山宮・石井・太多・栃本・東河内(ヒガシコウチ)・水口(ミノクチ)・稲葉(イナンバ)・萬却(マンゴウ)・山田(ヤマタ)・萬場(マンバ)・名色(ナシキ)・栗栖野(クリスノ)・庄境・久田谷・田口(タノクチ)・羽尻

※漆垣は現存せず

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」


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