村社 中山神社(賀陽神社)(豊岡市加陽)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

 概 要

社号 中山神社
『国司文書 但馬神社系譜伝』 賀陽神社
読み 古 カヤ 現 なかやま
所在地 兵庫県豊岡市加陽81-1
旧地名 気多郡賀陽郷
御祭神 金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
『国司文書 但馬故事記』には、賀陽王(かやおう)
例祭日

社格等

『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳(『国司文書 但馬故事記』 人皇42代文武天皇慶雲3年(706))
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道312号線 蓼川大橋西詰(交差点) を出石方面へ右折する。県道249号線交差点を過ぎて1.5 kmで右折し、140 m突き当り。

歴史・由緒等

『国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記・下)
人皇42代文武天皇慶雲3年(706)、
三木島宿祢足人は、賀陽村を開き、墾田を為す。この所に住み、その祖・34代舒明天皇の皇子・賀陽王を中山に祀り、賀陽神社と称え祀る。

由 緒
創立年月不詳

明治6年(1873)10月村社に列せらる

-「兵庫県神社庁」-

ウィキペディアには、
金山彦神(かなやまひこのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』では金山毘古神、『日本書紀』では金山彦神と表記する。金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)とともに鉱山の神として信仰されている。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。
神名の通り「金山」(かなやま、鉱山)を司る神で、嘔吐物から産まれたとしたのは、嘔吐物の外観からの連想によるものと考えられる。鉱山を司どり、また荒金を採る神とされ、鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神とされている。

境内・社叢


鳥居

  
参道(ブレてますw)      参道脇境内社

   
狛犬

  
割拝殿                 社殿

地名・地誌

加陽(かや)

気多郡賀陽郷
『国司文書別記 郷名記抄』

古語は賀屋。賀陽郷は、息長足日広額天皇(舒明)の息子、賀陽王の子・代部の民、所住の池なり。この故に賀陽部という 。三島真人の裔、三木島宿祢在住の地なり。故に賀陽王を中山に鎮座す。

低野(今の引野)・土淵(ヒヂウチ)・三木島・布施(今の伏)・八社宮(ハサミ)・大岡山
この順番でいうと三木島は今の清令寺か?大岡山は今の今森・江本か?

丹後にも加悦(かや)という地名がある(今の京都府与謝野町)が、同様に古墳の密集地である。

地 図

兵庫県豊岡市加陽81-1

交通アクセス・周辺情報

加陽城址、大谷古墳群、大師山古墳群(豊岡市引野)

参 考

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