村社 八城神社
Contents
概 要
社号 八城神社
読み:やしろ
所在地 兵庫県豊岡市日高町八代272
旧地名 但馬国気多郡狭沼郷八代村
御祭神 主祭神 須佐能男命(すさのおのみこと)
配祀神
例祭日 10月15日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
県道1号線とその旧県道と頃垣へ向かう県道529号線が十字に交差する八代交差点東北に鎮座。ちょうどその交差点のすぐ東に細い参道があり、東側にも軽自動車なら通行できるほどの広い参道がある。そちらがメインだろう。神社は八代が見渡せる丘にあり、鳥居から長い石段が続く。
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳元禄16年(1703)社殿を再建す。
豊岡藩主京極氏、祭資料を石高にて寄進せしも、享保11年(1726)封禄の減少に伴い、祭資料を停めて村の物成高の内を以て賄わしめたり。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。
-「兵庫県神社庁」-
境内・社叢
鳥居 神門
境内 本殿覆屋
狛犬
本殿側面 境内社
地名・地誌
八代
八代は、平安期(975)の『国司文書 但馬郷名記抄』狭沼郷には、
狭沼・鷹貫(今の竹貫)・葛井(今の藤井)・
すでに八代と書かれており古くから変更ない。
『国司文書 但馬故事記』に、
気多郡における
狭沼 郷*1が登場するのは、
人皇25代仁賢天皇10年春2月、黒田大連 の子、大鹿*2連 多遅麻国造 となる。
人皇26代武烈天皇3年夏6月、大鹿連は、その祖、天児屋根命・黒田大連命を大鹿山*3に祀る。(大岡神社)
5年夏5月、玉祖宿禰は、その祖、玉荒木命を伊爪丘に祀り、玉荒木神社と称えまつる。(式内 多摩良木神社:豊岡市日高町猪爪)
人皇32代崇峻天皇4年秋7月、多遅麻国造、登美連 *4吉雄命・武貫首 は、気多県主武貫彦命を狭沼邑に祀る。(式内 鷹貫神社:豊岡市日高町竹貫)
(中略)
人皇40代天武天皇4年2月、但馬国等の十二国に勅して曰 く、
「所部(クニノウチ)の百姓の能く歌う男女および侏儒・伎人を撰みて貢上れ」
(中略)
13年10月、応神天皇の皇子・大山守命の裔、榛原 公鹿我麿をもって、但馬国司となし、位小錦上を教く。
榛原公鹿我麿は気多郡狭沼を開き、墾田をなす。
14年秋8月、その祖・大山守命を蜀椒山に祀り、祭式を行う。(名神大 [木蜀]椒神社:豊岡市竹野町椒)
(中略)
人皇47代孝謙天皇天平勝宝元年6月、大炊山代直都賀麿をもって但馬介となす。大炊山代直都賀麿、八代邑を開き、墾田をなす。
これによって5年秋9月、その祖天砺目命を八代丘に祀り、大炊山代神社と称えまつる。土人訛りて恩往神社と云う。(式内 恩往神社:兵庫県豊岡市日高町中)
また、
人皇54代仁明天皇承和12年秋7月、
但馬国気多郡無位 戸ノ神・山ノ神・雷神・蜀椒神に従五位下を、
無位大岡神に正六位上を授けられる。これは国司の解状によるなり。
人皇56代清和天皇貞観10年冬12月27日、
但馬国従五位 戸ノ神・山ノ神・雷神・蜀椒神に従五位上を授け、
同年閏12月21日 但馬国正六位上大岡神に従五位下を教く。
これらによれば、八代は八代地区西部となるが、大古は大炊山代邑が訛って八代邑と転嫁したものだと考えられないか。とすれば、大炊山代邑の中村のことで八代小学校と恩往神社あたりが中となったと思われる。国棺は現存しない。陶谷と合わさり奈佐路の一部となったのではないか。
[註] *1*2 大鹿 おおかと読み、今の大岡(山)と思われる
*3 大鹿山 今の大岡山
*4 登美連 のち止美、いまの豊岡市日高町十戸
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「兵庫県神社庁」
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