村社 四所神社
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概 要
社号 四所神社
読み :ししょじんじゃ
所在地 兵庫県豊岡市城崎町湯島447
旧地名 但馬国城崎郡田結郷湯島村
御祭神
主祭神 湯山主神(ゆやまぬしのかみ)
配祀神 多岐里比売神 田記津比売神 市杵比売神…(宗像三女神)
(たきりひめのかみ・たきつひめのかみ・いちきひめのかみ)
、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称。
『古事記』では、
沖ノ島の沖津宮 – 多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
大島の中津宮 – 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
田島の辺津宮(へつみや) – 多岐都比売命(たぎつひめ)
(この三社を総称して宗像三社と呼んでいる)
『国司文書 但馬郷名記抄』では、
大貴巳貴命(おおなむち のみこと)・御出石櫛甕玉命(みいずしくしみかたま のみこと)・天日槍(あめのひぼこ)命・少彦名命(すくなびこな のみこと)
(…大貴巳貴命は小田井県神社の御祭神 国作大巳貴命、御出石櫛甕玉命は御出石神社、天日槍命は出石神社、少彦名命は不明だが、これを四所と云うのだろう)
例祭日
城崎だんじり祭り(例祭) 10月14日(宵宮)~10月15日(本宮)
城崎七夕まつり 7月5日~7月7日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 和銅元年(708)
本殿様式 三間社流造
境内摂社(祭神)
八幡宮・天満宮・稲荷社・他1社
文化財
拝殿・本殿 兵庫県登録有形文化財
弁天山宝篋印塔「越中次郎兵衛の墓」1基 – 南北朝時代の応安2年(1369年)の建立 豊岡市指定文化財(昭和50年3月1日指定)
ヒメハルゼミの発生の地 豊岡市指定天然記念物 (平成2年5月18日指定)
一口メモ
JR山陰本線「城崎温泉駅」より北西へ700m。城崎温泉の大谿(おおたに)川の道沿いに御所の湯の東隣り。
歴史・由緒等
由 緒
古来、四所明神と称せられ、和銅元年(708)日生下権守が神託により創建。養老元年(717)、沙門道智上人(湯泉寺開山)に託宣あり、城崎温泉が発見されたと伝えられる。
以来、温泉祖神・湯島の産土神とされる。応永17年(1410)、田結郷の公文より祭礼御供領・田畠各五段の寄進をうけ、享保12年(1727)、後西天皇の皇女、宝鏡寺宮のご来浴の折り「四所大明神」の染筆の額および菊梅鉢の紋入りの幕を下賜され、さらに天明4年(1784)、出石の仙石候、安政元年には阿波の蜂須賀候より神座階段の擬宝珠、金銅の釣燈篭一対の奉納があった。
明治3年(1870)、神仏判然令により温泉寺との分離。
同6年(1873)、村社に列せられた。寛延4年(1751)の建立にかかる旧本殿は総欅造り四間四面の広壮なものであったが、惜しくも大正14年(1925)の北但大震火災により一切の社蔵文書、記録とともに焼失。
現在の社殿は、昭和3年(1870)に再建され、同56年(1981)、和田政春氏(重要文化財技術保持者)の設計施工により大改修が行なわれた。
-「兵庫県神社庁」-
『国司文書 但馬郷名記抄』
往昔 久流比山に気吹戸主神の釜あり、火を噴く。火やみ、温泉湧出するも、土人(土地の人)いまだこれを知らず。
一日(あるひ)鴻鳥(こうのとり)あり、鴻鳴山の方より鳴きて飛び来たり。谷に下り、その足を浸す。土人その足の損傷するを見る。日を重ねて、かくのごとくなす。ついに、その傷癒えて去る。
泳人これに因んで、その谷に至り、これを見るに、泉ありて湯沸くがごとし。土人調べてみて薬湯となし、これに浴す。多くの人 金創・湿疹を治す。今これを鴻湯(こうのゆ)と云う。天武天皇の十三年十月十四日、地震あり。京師*および諸国の山崩れ、河溢れ、黄沼前陥没し、人多く死す。故に土民難を山上に免れる者多し。けだし温泉の湧出はこの時か。
元明天皇の和銅元年春三月朔、御出石櫛甕玉命の裔 火生下吾彦(ひふがわれひこ)は斎戒淋浴して寝たり。この時、忽然として白髪老翁 枕上に出現して、吾彦に勅して曰く-
われらは、すなわち出石明神なり。長くこの地に垂跡して、汝がところの部人を守護す。民汝らよく、これを祀れ-と。
火生下吾彦は霊夢に驚き、祠を建て、これを奉祀す。祭神は、
大貴巳貴命・御出石櫛甕玉命
天日槍(あめのひぼこ)命・少彦名命の四座。
これを四所神社と称し祀る。元正天皇の養老元年春正月二日、
道智上人は四所明神の託宣により、また温泉を得るも、熱湯にして浴びがたし。
よって道智上人 曼陀羅加持の御修法を行ず。その功徳(くどく)により、熱湯たちまち温湯と化し、容易に浴することを得たり。故にこれを曼陀羅(まんだら)湯と云う。
(*京師 日本で天皇の都のこと。この年号では平城京)
境内・社叢
鳥居 社号標
案内板
拝殿・注連柱 拝殿・本殿
拝殿扁額 境内社 八幡宮・天満宮
境内社 稲荷社
地名・地誌
古くは湯島
『校補 但馬考』
「太田文」
城崎郡田結郷気比庄
気比・田結・湯嶋・桃島・小島・瀬戸・津居山
湯島
この湯の名、古書にあらわるるは、古今集を始めとす。順に倭名鈔には、二方の温泉(ゆの)郷
を載せたれたしは、「但馬の湯」とのみ云うは、まぎらわしき方もあれと。(中略)
沢庵の集には、城崎の湯へまかるとて、船に移りて・・・
一本堂薬選続編曰く、但州城崎温泉、三敷座ありて、新湯は・・・、中湯、(中略)
曼荼羅湯(中略)但馬国湯島と云うところに赴きたまふ・・・
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