隠岐大明神と称すと伝えいう。
元弘2年(1332)夏5月鎌倉の執権北條高時の専横により後醍醐天皇隠岐に遷御し給うや屡々皇考後宇多天皇を夢見給う御還幸の叡慮止み難く毎夜斎戒沐浴し皇祖を拝せられ躬親ら大海童命の御夢体を彫刻し大御心を籠めさせられ還都を御祈願ありて之を海中に流し給うに不思議にも此の海に渡り着きしを村民治郎平なる者之を奉じて地頭長谷部信経に白す。信経深く之を崇めて海音岩の麓に祀り神田を施す。
天文23年(1554)三河守長谷部教信本殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列し、同44年(1911)更に本殿を再建す。
「兵庫県神社庁」
大宝二年(702)夏四月 安来我孫を以て、美含郡主政に任じ、大初位上を授け、凡海連寿美を以て、主帳に任じ、大初位下を授く。
凡海連寿美は、その祖穂高高見命を谷丘に斎き祀り、沖神社と申しまつる。
『国司文書・但馬故事記』