村社 白石神社
Contents
概 要
社 号 白石神社
読 み しらいしじんじゃ
所在地 兵庫県豊岡市塩津町13-4
旧地名 城崎郡新田郷鹽津村
御祭神
例祭日 10月15日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
国道312号線が豊岡市街へ入る南の端に位置するのが塩津。NHKの赤白に塗られた電波塔があるところと言った方が分かりやすいかもしれない。大橋が手前に架け替えられたが、以前は円山川から対岸、出石方面に向かう国道426号線の大橋がここに架かっていて信号があった。その少し北に「白石神社前」という三叉路があり、鳥居が建っている。車は進入禁止になっているので、車ではエールという喫茶レストランの前を通り、裏手に回る。塩津区体育館前は駐車できる広場になっている。
歴史・由緒等
創立年月不詳
円山川船着場の守護神たりしも、その後河流の変遷によりて次第に東に遷座する事3度に及べり。
明治6年(1873)10月村社に列し大正14年(1925)円山川治水工事の為、4度遷座して今の地に移御せらる。此の年社殿の新築なれり。「兵庫県神社庁」
人皇41代持統天皇3年秋7月 本郡の壮丁および美含郡の壮丁等は気多郡馬方原に至り、当国の大毅、忍海部広足に就いて、兵士の調練を受け、帰りて楯野調練所に集まり練習す。(楯野は赤石)
物部韓国連榛麿の子、当国の校尉、物部韓国連格麿は奉行なり。故にこの地を物部邑と云う。人皇45代聖武天皇は、金銅の盧舎那仏を鋳造せんがため、金工・泥工・石工を諸国に募り、かつ大力の者を集め、その工事を助けしめ給う。
当国の校尉、物部韓国連格麿もまた募に応じ、皇都に上り、しかしてよく大石を運び、工、速みやかに成る。
天皇これを喜し、天平17年春正月 物部韓国連格麿に姓、大石宿禰を給う。清明森神社
祭神 大石宿禰格麿 神人 大石宿禰正名
白石神社が大石神社なら分るが、『国司文書・但馬郷名記抄』に、物部大石神社という(いまの大磯神社)。
大石村は大磯なり。大石宿禰在住の地なり。故に大磯を改め大石という。物部大石神社はここにあり。物部大石宿禰命を祀る。(大磯神社 素盞男命)
円山川の旧河川を挟み、大磯は城崎郷、塩津は新田郷ではあるが、大石神社(大磯神社)と祭神が同じ素盞男命で、川の反対側に分祀し、いつしか多い子が白石神社と呼ばれるようになったのかも知れない。
また、『国司文書・但馬故事記』第五巻・出石郡故事記に、
国作大己貴 命は、出雲国より伯耆・稲葉(因幡)・二県国(二方)を開き、多遅麻(但馬)に入り、伊曾布(射添)・黄沼前(城崎)・気多・津(佐須?)・水石(御出石)の県を開きませり。
大己貴命、この郡(出石郡)に在りました時、地上に数夜光あり、命はその光を尋ねて、地を穿つこと数仞 にして、白石を得たり。その白石を忽然と化して女神となる。
命 問うて曰 く「汝は誰か」
女神答えて曰く「妾 は稲葉(因幡)の八上姫なり。吾が夫神嫡妻を愛す。故れ御子 一人を木の俣に置いて去れリ。
しかりといえども愛慕 *1を思いて止まず。ここに在りて、夫神の去るを待つなり。
ここに唯一、「白石」が出て来る。境内・社叢
境内側から鳥居 本殿覆屋
狛犬
境内社地名・地誌
塩津
『国司文書・但馬郷名記抄』
新墾田 郷、今は新田郷
江岸・志保津
清明 島
天火明命に供奉の神。名は二田天物部命の子孫在住の地なり。此の故に二田島と名づく。
篠生岡 ・倭文部 ・由利地
右六方と云う『大田文』
城崎郡新田郷
江本・今森・鹽 津・立野
右新田庄
駄坂・木内・篠岡・中谷・河谷・百合地
地 図
兵庫県豊岡市塩津町13-4交通アクセス・周辺情報
参 考
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