村社 白藤神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 白藤神社
読 み しらふじじんじゃ
別 名
初め楯縫神社、また藤森神社
所在地 豊岡市大谷687-1

旧地名 但馬国城崎郡奈佐郷大谷村
御祭神 深渕之水夜札花神みふぶのみやれはなのかみ
彦狭知命 『国司文書 但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月15日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳 (赤藤神社は白凰12年(672))
本殿様式

境内摂末社(祭神)

不明

一口メモ

奈佐小学校をはさんで左手が大谷区の白藤神社がある。県道に面しており、よく目立つ神社だ。地番は吉井で大谷はもっと西なのに、当社は豊岡市大谷687-1となっている。吉井区には大蔵神社があり、大谷区内に神社はないので、大谷区の神社なのだろうがよくわからない。県道に面しており、よく目立つ神社だ。最初はこの白藤神社を参った。小学校の東が庄区で赤藤神社があり、二社で赤と白の藤でつながりがありそうだ。奈佐郷(庄)の中心部で、赤藤神社の御祭神は彦狭知命となっている。

深淵之水夜礼花神(ミブフノミヤレハナノカミ)は古事記ではスサノオのひ孫に当たる神。また大国主(オオクニヌシ)の曽祖父に当たる神だという。深淵之水夜礼花神を祀る神社に静岡県富士市浅間本町に式内富知神社がある。通称は、三日市浅間神社。藤から富士をつないだ富士山信仰からだろうか。

歴史・由緒等

 伝え云う天武天皇白鳳12年秋9月楯縫連須賀雄の創立にかかり、初め楯縫神社と称す。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

『国司文書 但馬故事記』(第四巻・城崎郡故事記)
人皇40代天武天皇白凰12年(672)夏閏4月 物部韓国連久々比は勅を奉じ、兵馬・器械を具え、陣法博士大生部了を招き、子弟豪族を集め、武事を講習す。かつ兵庫を赤石原に設け、以て兵器を蔵む。(元田鶴野村、今の豊岡市赤石)
楯縫連須賀雄を召し、奈佐村に置き、部属を率いて、楯・甲冑を作らしむ。
楯縫連須賀雄はその祖彦狭知命を藤森に祀り、楯縫神社と称す。また藤森神社と云う。

赤藤神社 豊岡市庄字谷口390

天武天皇白鳳12年9月楯縫連須賀雄の創立せし社にして楯縫部の氏神なり。
而して赤紫色の花咲く藤の古木の傍らに社殿を建てしにより社名を生ず。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

 

境内・社叢

  
社叢                       参道

  
社殿                       参道左脇境内社

地名・地誌

大谷
『国司文書・但馬故事記』 奈佐村
渚郷 古語は奈技佐、今は奈佐
布久比村・耳井村・古井村・智阪村・楯縫村・楯縫山

『大田文』 奈佐郷
今の村数13
岩井・栃江・宮井・庄村・吉井・野垣・福成寺・大谷・内町・辻・目坂・船谷・河合

地 図

豊岡市大谷687-1

交通アクセス・周辺情報

参 考

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