創立年月不詳
稲田中大明神と称し慶長10年(1605)、天明8年(1788)、文化元年(1804)、文政8年(1825)、元治元年(1864)の再建を経て明治3年(1870)正月現在の社号に改める。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。大正12年(1923)本殿覆を改築せり。
「兵庫県神社庁」
建稲種子命の子、建稲田中命、尾張国より朝来国に来たり、建田背命の許に居る。のち牛知村に入り、牛知神に斎きまつる。故に稲田中命神社・熱田神社あり。
稲田中命神社は建稲田中命を祀り、熱田神社は建稲種子命・宮簀姫命を祀る。
建稲田中命の子は稲穂足尼命。その娘実山毘売命は、物部大石宿禰命に嫁ぎ、兄彦宿禰・弟彦宿禰を生む。
弟彦宿禰の子孫は、神力直といい、粟鹿神社・新良貴神社に仕えまつる。
『国司文書別記 但馬郷名記抄』