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社 号 若一神社
読み じんじゃ
江戸時代は若一王子と称していた
久麻神社 『国司文書・但馬故事記』『国司文書別記 但馬郷名記抄』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町千原字大畑790
旧地名 但馬国二方郡八太郷
御祭神 主祭神
配祀神
二方国造 千原大若伊知命 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日 9月19日
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 一間社
創立年月不詳
出雲国足日山より分霊を勧請すと伝う。
寛文6年(1666)9月社殿を再建せし。当時、若一王子と称したりしも、明治初年若一神社と改称し明治6年(1873)10月村社に列せらる。
「兵庫県神社庁」
素盞鳴尊は、大年命・蒼稲魂命に勅して、布多県国を開かしめ給う。
大年命は、蒼稲魂命とともに布多県国に至り、御子を督励して、田畑を開き、その地を称して大田庭という。いま大庭という。(中略)
瑞山富命は、蒼稲魂命の娘、大御食津姫命を娶り、若山咋命・若年命らを生む。(中略)
瑞山富命宇多中宮に坐し、
大食津姫命は御食津宮に坐し、
若年命は波多茅原宮に坐し、
若山咋命は大前宮に坐し、
大山咋命は日枝宮に坐す。
みな開国の祖神なり。
(中略)
人皇19代反正天皇3年秋7月 陽口開咋別命の子、千原大若伊知命を以て、二方国造と為す。千原大若伊知命は、、千谷聖中津彦命の娘、千谷若子比売命を娶り、前原真若伊知命を生む。
人皇22代雄略天皇22年夏6月 千原大若伊知命の子、前原真若伊知命を以て、二方国造と為す。
人皇27代継体天皇24年秋7月 前原真若伊知命の子、伊角大若彦命を以て、二方国造と為す。
『国司文書・但馬故事記』
同記には、二方国造 千原大若伊知命をはじめ、但馬国へ合併し、二方郡になって以降は祀られた神社をくわしく書かれていないが、人皇22代雄略天皇22年に千原大若伊知命の子、前原真若伊知命が二方国造となり、人皇27代継体天皇24年に前原真若伊知命の子、伊角大若彦命が二方国造となっているので、この期間に千原大若伊知命を千原の地に葬り祀られたものであろう。
若一神社の若一は若伊知命であると思われる。
国道9号線の北の旧道から参道がまっすぐに延びている
鳥居扁額「若一王子」 社殿
境内入口の石灯籠 「大東亜戦争記念」 右手「支那事変記念」と刻まれている
狛犬 かなり損傷が進み古いものである
千原(ちはら)
『国司文書別記 但馬郷名記抄』八太郷茅原村
『太田文』八太郷千原