村社 金岡神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 金岡神社
読み: かなおかじんじゃ
『国司文書 但馬故事記』葦田神社
所在地 兵庫県豊岡市金剛寺356-1
旧地名 但馬国城崎郡田結郷金岡
御祭神 金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
『国司文書 但馬故事記』葦田首の祖 天目一箇命

例祭日 10月15日

社格等

近代社格制度 旧村社

創建
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

『国司文書 但馬故事記』第四巻・城崎郡故事記に記述されている神社の現存する神社と思われる中で、金剛寺の金岡神社が最後に残っていた。元は葦田神社と称していて、豊岡市中郷の式内 葦田神社と関係がありそうだからである。

歴史・由緒等

由 緒

葦田道金の子其祖天ノ目一箇命を祀りしに初まると伝う。何時しか金岡彦命を祭神とし明治6年(1873)10月村社に列せられ昭和7年(1932)本殿を上棟せり。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬故事記』第四巻・城崎郡故事記

人皇40代天武天皇の白凰12年夏閏4月、
物部韓国連久々比は勅を奉じ、兵馬・器械を具え、陣法博士・大生部了(おほふべのさとる)を招き、子弟豪族を集め、武事を講習す。かつ兵庫を赤石原(現豊岡市赤石)に設け、以って兵器を納む。
楯縫連須賀雄を召し、奈佐村に置き、部属を率いて、楯・甲冑を作らしむ。
葦田首金児を召し、三江村に置き、矛および刀剣を作らしむ。
矢作連諸鷹を召し、永井村に置き、弓矢を作らせ、これを兵庫に納む。

(『国司文書別記 郷名記抄』城崎郡名記抄に立野村・女代村(今の九日市)・深坂(みさか)村(小尾崎村、今の三坂)・永井村・鳥迷羅(とりみはり・今の戸牧)・大石村(今の大磯)とあるが永井はどこか不明)

物部韓国連久々比は兵主神を赤石丘に祀り、兵庫の守護神と為す。祭神は武素戔嗚神なり。(式内兵主神社:豊岡市赤石)
楯縫連須賀雄は其の祖・彦狭知命を藤森に祀り、楯縫神社と称す。(また藤森神社)
葦田首金児は其の祖・天目一箇命を金岡森に祀り、葦田神社と称す。(また金岡神社と云う:豊岡市金剛寺)
矢作連諸鷹は其の祖・経津主神(ふつぬし)を鳥迷羅(とりみはり)丘に祀り、矢作神社と称す。(また鳥迷羅神社。今の戸牧神社:豊岡市戸牧)

葦田神社は豊岡市中郷にもある。中郷はかつては気多郡葦田村と呼ばれ、気多郡の式内社 葦田神社。御祭神 天目一箇命(鍛冶の祖神・葦田首の祖)

『国司文書 但馬故事記』
人皇16代仁徳天皇二年春三月、物部多遅麻毘古は、物部多遅麻連公武(もののべのたちまのむらじ きみたけ)の霊を気多神社(式内 気多神社 豊岡市日高町上ノ郷)に合祀す。
これに倣い、葦田首は鍛冶の祖・天目一箇命を鍛冶丘に合わせ祀る(式内 葦田神社:豊岡市中郷)。

人皇37代孝徳天皇大化三年 多遅麻国気多郡高田村に兵庫を作り、以って軍団を置き、出石・気多・城崎・美含を管(つかさど)った。そのとき伊多首(おびと)の裔・貴志麻侶、葦田首の裔・千足、石作部の裔・石井、日置部の裔・多麻雄、縦縫首の裔・鉾多知、美努連(むらじ)の裔・嘉津男等を以って隊正と為す。(気多軍団・久斗寸兵主神社)

([註]高田村は今の久斗、伊多首は式内 井田神社のある鶴岡、葦田首は葦田村で今の豊岡市中郷、縦縫首は多々谷 今の式内 楯縫神社古社地、美努連は今の式内 三野神社 豊岡市日高町野々庄。)

これと同じ事例が、

白凰12年夏閏4月、
物部韓国連久々比は勅を奉じ、兵馬・器械を具え、陣法博士・大生部了(おほふべのさとる)を招き、子弟豪族を集め、武事を講習させました。かつ兵庫を赤石原(現豊岡市赤石)に設け、以って兵器を納む。
楯縫連須賀雄を召し、奈佐村に置き、部属を率いて、楯・甲冑を作らしむ。
葦田首金児を召し、三江村に置き、矛および刀剣を作らしむ。

金岡彦命
「兵庫県神社庁」に「葦田道金の子其祖天ノ目一箇命を祀りしに初まると伝う。何時しか金岡彦命を祭神とし」とあるが、同じ金岡彦命を祭神とする神社が豊岡市加陽の中山神社である。『国司文書 但馬故事記』には、御祭神は賀陽王(かやおう)とあるが、金山彦命になっているのである。

社 号 中山神社(賀陽神社)
読み 古 カヤ 現 なかやま
所在地 兵庫県豊岡市加陽81-1
旧地名 気多郡賀陽郷
御祭神 金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
『国司文書 但馬故事記』には、賀陽王(かやおう)

金岡神社がかつては葦田神社と呼ばれていたように、中山神社もかつては賀陽神社。葦田首の本貫地は、式内葦田神社(豊岡市中郷)で古くは気多郡葦田村とよばれ鍛冶集団がいたことが、『国司文書 但馬故事記』に「葦田首は鍛冶の祖・天目一箇命を鍛冶丘に合わせ祀る。」と記されている。

同じ祖神である一族がこの地を治めていた主であるのは間違いないだろうが、では金山彦命とはいったいどういう神なのだろう。

ウィキペディアには、
金山彦神(かなやまひこのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』では金山毘古神、『日本書紀』では金山彦神と表記する。金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)とともに鉱山の神として信仰されている。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。
神名の通り「金山」(かなやま、鉱山)を司る神で、嘔吐物から産まれたとしたのは、嘔吐物の外観からの連想によるものと考えられる。鉱山を司どり、また荒金を採る神とされ、鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神とされている。

境内・社叢

  
鳥居・社叢                本殿覆屋


境内社

地名・地誌

金剛寺

古くは金岡
金剛寺があることから現在は金剛寺。鍛冶の祖・葦田首の祖の天目一箇命が御祭神とあるので、鍛冶の部民葦田首が葦田村(今の豊岡市中郷)から、軍団移転とともに三江村に移住したとするなら、金岡は砂鉄の産地というより鍛冶の意味ではないだろうか。

地 図

交通アクセス・周辺情報


金剛寺法印供養塔 兵庫県指定文化財

参 考

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