創立年月不詳
初め天御中主尊を香住村香住字伊原に鎮座す相殿の大己貴命、少彦名命は当村開拓の祖神なり。
但馬国守黒田大連武運長久を祈り但馬国造竹野君、同船穂足尼命巡郡に際し、所領安堵を祈り宿祷に際して一宮と仰ぐと伝う。
明治6年(1873)10月村社に列し、同38年(1905)在来天御中主尊一柱となりしを大己貴命、少彦名命の脱漏編入せり。
大正2年(1913)火を失して本殿、本殿覆、拝殿等は烏有に帰し、昭和13年(1938)社殿以下を再建せり。
「兵庫県神社庁」
『国司文書・但馬故事記』に
人皇33代推古天皇35年春2月 佐須地公の子香住彦を以て、美含県主と為す。香住彦は市場を開き、貨物を交易す。(香住)郷名は地広と云いて霞 靉靆す*1。故に霞猪と名づく。篠多く地を覆う。故に篠生原と云う。
人皇60代小野天皇の延喜22年(922)春3月 佐自努公美主を以て主政に任じ、坂合部義直を以て主帳に任ず。
佐自努公美主はその祖香住彦を香住丘に祀り、坂合部義直はその祖山迹子命を坂合丘に祀る。香住神社・米子神社これなり。