村社 鹿島神社(豊岡市日高町府中新)
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概 要
社号 村社 鹿島神社
読み: かしま
所在地 兵庫県豊岡市日高町府中新15
旧地名 気多郡国府郷国府市場村・熊野村
御祭神
御祭神 武甕槌神(たけみかづちのみこと)
社格等
式外社
近代社格制度 旧村社
創建 創立年月不詳
一口メモ
旧国府村役場があった旧道沿いの府中新区公民館の隣。
歴史・由緒等
明治14年(1881)2月村社に列し大正4年(1915)本殿を修繕し拝殿を改築せり。
日本に仏教が伝来してから百年も経つと、仏教の普及はめざましく、日本のあちこちで造寺が行われ、「白鳳寺院」と呼ばれています。但馬の白鳳寺院は、現在のところ豊岡市三宅の薬琳廃寺のみが知られています。
鹿島(嶋)神社
鹿島(嶋)神社(かしまじんじゃ)という名前の神社は、関東・東北地方を中心に日本全国に鎮座するが、多くは茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を勧請して創建され、鹿島神宮と同じ武甕槌神を祀っている。武甕槌神は、香取神宮(千葉県香取市)の経津主神とともに中臣氏・藤原氏の氏神とされたことから朝廷・中央貴族の信仰を受け、武神であることから武家の崇敬も受けた。
境内・社叢
鳥居 手水鉢
境内・拝殿
狛犬
拝殿・本殿覆屋
左手境内社 右手境内社・礎石
礎石
鹿島神社境内には、大きな礎石が安置されている。今は村社だが、元は府中と呼ばれ、但馬国府の中心だった。但馬の郡ごとに設置された気多郡の「郡分寺」ではないかと想定されている。薬琳廃寺の建立に続く時期のものだそうだ。
郡分寺とはいえ巨額の費用がかかるので、気多郡の在地有力者が、個人的に独力で建立したものではなく、但馬国司の側から、積極的に造営費の援助、助成が行われていたのだろう。さらに各郷には「郷寺」がつくられはじめる。寺は鎮護国家の道場であると同時に、教育の場として、律令制度を全面的に実施するために、但馬国衙から郡司や郷司に指令が発せられる。
地名・地誌
府中新(ふちゅうしん)
『国史文書・但馬郷名記抄』(平安期)
国府。国府所在の地なり。またの名は気多郷。
「但馬太田文」(鎌倉期)
気多郡国府
(中略)上古は、皆府に属せんゆえ、郷の名はなし。今府中と称す十一の村あり。
今の村数
山本・
かつては城崎温泉までの湯島街道が通っていた旧道にある。
平安期は伊智村=国府市場と堀部(今は堀)とあり、鎌倉期に手辺村が出現している。国府市場から手辺村が分村したのが今の府市場で、北部が今の府中新のようである。
昭和30年に旧日高町と 国府村・八代村・三方村・西気村・清滝村が合併し日高町になるまでは、府中新に国府村の村役場が置かれていた。